予定に行く前の「なんとなく憂鬱な気持ち」の正体はなんだろうか?

何かしらの飲み会とかアルバイトとか、仕事の予定。その前には時々憂鬱に感じることがある。気心が知れた友人と遊びに行くのであれば、ほぼストレスはなかったり、当然ながらむしろ楽しみだったりする。

しかし、大体の場合は実際に行ったしまえばなんてことはないことがほとんどだ。少なくとも行く前に感じていた憂鬱な感情を超えるほどに嫌な気持ちになることは少ない。

なんというか「確定してない未来に対する漠然とした不安」とでも表現しようか。

仮にその先で嫌なことがあったとしても、それは目の前にある現実だ。例を出せばバイト先の店長や上司にネチネチと嫌味を言われることもあるかもしれない。それは確かに嫌なことだろうが、見えているという意味ではそれ以上のストレスはない。

もしかしたら「慣性の法則」的な側面もあるだろうか。?家でゴロゴロとジーッとしている状態であれば、そこから動くのは腰が重たいものだ。逆に支度をして外に出てしまえば、「すでに動いている状態」になるので継続して動き続けることはストレスになりにくい。

そう考えると、人生において「最初の一歩」がいかに軽いかは凄く大事なことなのかもしれない。「何か分からないけどなんとなく怖い」と思っていることのほとんどは思っているほど怖くないのだから。そうしてフットワーク軽く何でもかんでもとりあえずやってみる人がチャンスを掴む。私自身はそれを理性的に理解して動こうと思う。

まあ、それが苦手だから自戒を込めて書いているのだけども。

今日の注目ニュース

確かに銃撃の報道の直後と今とではまるで空気感が違う気がする。最初の方はいわゆる反アベのような人々の声はあまりなかったと思うが、今では毎日飽きるほどに旧統一協会と自民党の関係のニュースばかりだ。これと関連してか内閣支持率も急落している。国葬に関しては何か批判を抑える手を打てるのかどうか・・・。

いわゆる悟り世代というか・・・。今時の若い人を描く漫画作品とかを読んでみると、結構現在の空気感が伝わる。まさに私も肌で感じていることだが、なんとなくみんな覇気がないというか、"野望"みたいなものを持っていない人が多い気がする。私自身も若者なので、昔の若者と比較して具体的にどう変わったのかまでは言い切れないが。こうした変化にはスマホやSNSの影響もあるのではないかと思う。

目立つトラブルがよく話題になるので、撮り鉄に悪い印象を抱いている人は結構いるかもしれない。実際はマナーの良い人もたくさんいるだろうし、電車の魅力を伝えること自体はむしろ良いことのはずだ。撮影スペースを設ける話もあるが、結局自分が撮りたい位置から無理に撮ろうとする人は出てくる気がする。一部の過激な人への対処が困るというのは撮り鉄に限った話ではない。

松本氏が対談をしているのは以前も見たことがある。重い鬱病だからと言って自殺するとも限らず、軽い鬱の人が衝動的に命を断つこともあるという。共感は大事というものの、「死にたい」を連呼している人に対処する人も逆に精神的にしんどくなるんじゃないか?と思うので難しい。周りの気配りが大切なのは間違いないが、根本的にはその人の人生が潤わなければまた病んでしまうかもしれない。理想論を言えば恋人や仕事、趣味などリアルが充実している人が増えることだ。

私も最近、家から慌てて出たときに思わずマスクを着用せずにバスに乗ったことがある。カバンにも入ってなかったので、とりあえず黙って乗ってその後にコンビニで購入することになった。マスクをせずにベラベラと喋ったり、咳をしていり、騒いだりしているのなら問題かもしれないが、マスクをしてないから悪いというのは微妙ではないか。あるラーメン屋に行った時は「マスク着用はお願いするが、トラブルになる可能性があるので注意はしません」と客に委ねる感じだった。

私ももちろん時々ニュースは毎日確認している。色々考えると最低限それくらいはやるべきかなと。そういう意味でこのマガジンは365日欠かさず更新してニュースについて自分の考えを述べている。少し意外だったのは時事ニュースをチェックする媒体の約6割がテレビということ。Z世代はテレビでニュースなど見ないと思っていた。私はほとんど見ていない。見るとしても、なんとなく垂れ流しているくらい。

今日の一言

久々に割と混雑した感じの電車に乗っている。運良く座れたので良かった。前はおそらく電車やバスでじっと座りすぎて痔が悪化したので、時々モゾモゾ動くようにしている。周りの人には不審がられるかもしれないが、背に腹は変えられない。痔己防衛。





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