いの町紙の博物館
謄写印刷に使っていた、原紙のことが知りたく、仁淀川沿のいの町紙の博物館に来ました。博物館周辺には、独特な商家が紙の生産でさかえた応時を忍ばせています。
明治に吉井源太さんが、薄い紙を作ったことが、世界的に注目されたこと以上は、わからず、帰路に入った図書館で、四国謄写堂を見つけました。父は、美濃や四国から原紙を仕入れており、まだ手持ちが残っています。
堀井謄写堂が、吉井源太が発明した薄い紙に注目して、土佐紙合資会社の土居喜久弥に依頼したことが始まりでした。その後、複数の会社が製造し四国謄写堂はその一つで、四国わがみとして盛業。僅かなことですが、謎解きができた旅でした。
(参考)
小社と謄写印刷の関わりについてはこちらのnoteをご覧ください。
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