うつ病(自律神経失調症)で退職を迫られた時
こんにちは😀
前回の続きです。
私は2019年〜2021年度の間、大阪の私立高校教師をしていました。その間の2020〜2021年度に病気で出勤が難しい時でした。
2021年の3月から8月末まで、学校からの指示により、長期休暇をいただきました。
その長期休暇は仕事から完全に離れ、自分の好きなことに熱中していました。
しかし、毎日精神状態が不安定で、やはり仕事のことを完全に忘れて休むことが難しかったです。
性格上の問題、職人気質だったんでしょう、とにかく、生徒のことを忘れた日は1日もありませんでした。
そして休暇が終わる直前、校長との面談において、「3年契約の最終年だけど、来年度も契約するつもり」と口約束を交わし、産業医の方の指示や話を聞いて職場復帰をしました。
新しい座席へと移動され、カジュアルな雰囲気の人たちが集まる第2職員室で仕事を始めました。
しかし、これは完全に私の我儘ではありますが、自分が大切にしていた生徒ととは隔離され、何も言われずに他学年のサポートをするようにと言われました。
名前も顔も知らない生徒。自分が守ってきた生徒たちのサポートではない、とショックを受けました。
しかも、副担任でも学年付きでもなく、特別措置を取られた教師として分類され、いわば「いないもの」扱いを受けていました。
モチベーションは上がるわけがありません。
このことは教頭先生や校長先生、家族に話をしました。
しかし、状況は変わることもなく、体調不良も合わせて、やはり週1度出勤できるか、出勤しても途中で精神的に辛くなり、引き返してしまう状態が続いていました。
そして、最も辛かったのは、出勤しても、職員室の先生たちから挨拶の一言もほとんど貰えず、「お元気ですか?」とかの声かけも貰えず、私は職員室で孤立していました。
出勤できないのも辛い、出勤しても辛い、どうすればよかったんでしょうか?
私はそれでも何度も出勤に挑戦して自分なりに頑張っていきました。
でも環境が変わることはありませんでした。
そして、2022年の2月に、クビ宣告をされました。
理由は簡略に言うと「休み過ぎ」とのこと。
私も家族も怒りがありましたが、結果は変わらないこと、事実であることは悟っていました。
私は最後の職員会議の場で絶対にパワハラが今後起こらないように、とお願いをし、泣いて学校を去りました。
そして、2年が過ぎ、今に至ります。
私が最も声を上げたいことは、職場に私と同じような苦しみを持っている人を見たら、なんでも構いません。声をかけてあげてください。孤立は精神状態を悪化させます。
「お!今日は出勤できたんやな!」とか「最近調子はどう?」とか「おはよう!今度ご飯でも食べに行こう!」という軽い感じで構いません。
確かに、そんな人に声をかけるのは難しいことはわかります。自分の仕事で忙しかったり、どんな声かけをしたら良いかわからなかったりします。
でも孤立状態が最も危険で、人の将来や命を奪う可能性があることを知って欲しいです。
そうすれば、きっと何か変わっていたかもしれない、と感じることがあります。
私は教師をやっていた身ですから、言葉で生徒を励まし、生徒を立派な大人にさせていき、時には言葉で人助けができる、その潜在能力は計り知れないものだとわかります。
だから、同じような人がいましたら、勇気を振り絞って話しかけてください。言葉を選ぶ必要はありますが、その人に少しでも救いの手を差し伸べてあげてください。
※私は終始この話でこの学校の名前を伏せさせて頂きました。それには理由があります。一つは、私が発言したことでその学校に悪評がつき、その生徒たちの母校の名前に傷がついて、世間に悪目立ちさせたくなかったこと。一つは、そのことにより、小さな子どもがいる先生のご家庭の事情が厳しくなることは避けたかったこと。そして何より、私は上司Aとはまた英語のことを語りたいからです。私は上司Aがしたことについては、「謝罪さえ受ければいい。だからまた前のように楽しくお話がしたい。」という思いしかなく、今でも私は英文法の事については彼を尊敬しており、私が向こうの世界に行った時には、和解をしてまた英文法の話で花を咲かせたいと思っています。
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