LGBTQ+20230602
「女にはわからない」とか「男にはわからない」と言う事で、性差を自分の言葉足らずや単純な至らなさの逃げ道としていないだろうか。
それを続けている人間が蔓延る日本社会にジェンダーレスだの、セクシャルマイノリティだの訴えたところで結局、被害者意識の助長にしかなり得ないだろう。
「わからない」のはなぜか。と考える事を投げ出してしまうから経済も発展しない。
起こっている事態の把握もままならず、ただ今までしてきた事を徒然に続けてしまう。
現代日本が抱える問題はそれぞれの表層的なもので無く、「サービス」が当たり前の前提だ。「わからなくてもわかっている人がどうにかしてくれる」などと甘え続けた我々愚民だ。
我々は誰かに与えた分しか、何かを得る事は出来ない。(与える方向性は様々あれど、)
労働し、会社に奉公して資金を頂く。それを払い物や知識、サービスを得る。
幸福や優しさも同様に、誰かに優しくできる人が多く優しくされるべきだ。だか、そうではない。狡猾さの無い無垢な優しさというのはいつでも食い物になってしまう。
そんな事ではいけないと、そんな現実を変えなければと、何故誰も思わないのだろうか。
それが現実と受け入れてしまうのは、肯定では無い。妥協だ。
「正直ものが馬鹿をみる」
正しく優しい人間が目指す場所でないなら我々はどんな人間になり生きるべきなのだろうか。