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それでいいのだ!
西から昇ったお日様が~♫
印象的なバカボンの主題歌です。
私は幼い頃、太陽が昇るのはどこから?って考えるとき
バカボンの主題歌の反対って確認していました(笑)
破天荒だけれどどこか憎めないバカボンのパパ
その生みの親、赤塚富士夫さんは
皆さんに愛されるとても素敵な方だったそうです。
天才ギャグ漫画家、赤塚不二夫のエピソードです。
『天才バカボン』を描き上げた赤塚不二夫、締め切り前日に編集者に原稿を渡します。
しかしその後、大事件が起きてしまいます。
「原稿をタクシーに置き忘れて、なくしてしまいました!」と編集者が真っ青な顔で戻ってきたのです。
タクシーとは連絡がつきません。しかし、翌日には原稿を印刷所に渡す必要があります。まさに大ピンチ!
しかし、赤塚不二夫はまったく怒ることなく、「ネーム(脚本のようなもの)があるからまた描ける」と言い、さらに……。
問題:
このあと、赤塚不二夫が言った驚きの言葉は何だったでしょう?
出だしは「まだ少し時間がある……」です。
答え:
「まだ少し時間がある。呑みに行こう」
これはもちろん、落ち込んでいる編集者を気遣っての言葉です。
呑んで戻った赤塚は、また数時間かけて同じ話を描きあげて「2度目だから、もっとうまく描けたよ」と言い、その原稿を編集者へ渡したそうです。もし私が編集者でこんなことをされたら、帰りのタクシーの中で号泣してしまうこと間違いないです!
この話には後日談があります。紛失した原稿が、1週間後にタクシー会社から赤塚不二夫宛てに郵送されてきました。「2度と同じ失敗を繰り返さないように、おまえが持ってろ」と、赤塚不二夫からその原稿をプレゼントされた編集者は、その後35年間も自分への戒めとして持ち続けたそうです。
そして、赤塚不二夫が亡くなったとき「この原稿の役目は終わった」と、フジオ・プロ(赤塚不二夫のプロダクション)を仕切る、娘のりえ子さんに原稿を戻したのです。だから、フジオ・プロには現在、『天才バカボン』の同じ回の原稿が2つ存在するのだそうです。
ファンからも出版関係者からも愛された彼の葬儀の参列者は、1200人に及びました。本当の優しさを持った赤塚不二夫が、いかに慕われていたかが分かります。
完璧な仕事や勝ち負けにこだわっていると、誰かが失敗した時についそれを責めてしまうものです。でも、完璧な人間なんていないのですから誰でもミスを犯します。本当に優しい人とは、誰かが失敗したときやトラブルが起きた際にも周囲を気遣うことができる人なのです。
『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)西沢 泰生
赤塚富士夫さん
なんて素敵な方なんだ!!!と感激してしまいました。
失敗を責めず、十分反省している相手を労わる
もうこんなことされたら一生ついていきます!!!
って思いますよね。
相手の気持ちを想像して寄り添える
赤塚富士夫さん素晴らしい!!!
やさしい人最強です!!!
こんな人に私はなりたい。