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アイアン工房の自己紹介

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今までの来歴や、サニーサイドスタジオを創業までのコト等、自己紹介的に書いた記事です。
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記事一覧

勉強熱心なあまり、床下に潜り込んでしまう祖父のこと

少し前のnoteに野鍛冶屋だった母方の祖父の話を書きましたが、父方の祖父は製材職人をしていました。 どちらの祖父も真っ直ぐな職人気質な人だったようですが、僕の仕事の進め方は鍛冶屋の祖父ではなく、製材職人の祖父から受け継いでいるなと感じています。 鍛冶屋の祖父の仕事は子供の頃に間近で見る機会がありましたが、父方の祖父は僕が生まれる前に亡くなってしまったので、 どんな人だったかは知りませんでした。 ただ製材職人だったことは聞いていたので、サニーサイドスタジオをはじめる際に、父か

サニーサイドスタジオの仕事のこと

このnoteでは製作を依頼頂く際に知っておいて欲しいことを書きました。サニーサイドスタジオの説明書です。 金属や木を使った製品づくり サニーサイドスタジオでは鉄をメインに、金属や木を使った製品づくりを行なっています。 全て手作業で行いますので、製品には個体差があり2つと同じものはありません。 また素材感を活かしたモノづくりをしているので、鉄の傷や溶接跡、サビ等も素材の魅力としてそのまま残しています。 錆や変色等の経年変化を楽しみながら、長く使って頂ける製品づくりをモットー

うさぎが死んだ日

昨年の秋に長く飼っていたうさぎが死んでしまいました。プロフィールにも「妻と、3歳の娘と、うさぎの4人暮らし」と書いていたので、亡くなった事のお知らせをしようと思い、その時に書いていた文章をアップしようと思い立ちました。一緒に過ごした時間を振り返るとまだまだ寂しいけれど、自分の中で良い思い出になりはじめています。 秋晴れの水曜日の朝、一緒に暮らしていたうさぎが死んだ。 毛色はオレンジで、うさぎにしては短いぴんと立った耳が特徴の女の子。 前日から足腰が弱り立ちあがれなくなって

アイアン家具屋の自己紹介3〜「普通」に馴染めなかった僕が自分らしい仕事を見つけるまでの話〜

高校入学から就職まで子供の頃から工作は好きでしたが、それが自分の仕事に結びつくとは全く考えず、普通に受験勉強をして公立高校の普通科に入学しました。 高校へまともに行ったのは初めの半年くらいで、後は行ったり行かなかったり。借りてきたノートを写して、自分で教科書を読んで勉強していました。そうしているうちに出席日数が足りなくなった事もあり、3年生に上がる年に通信制の高校へ転入する事になりました。 高校に行かなくなったのは学校という限られた空間が窮屈だったという事と、単純に高校生活

アイアン家具屋の自己紹介その2〜子供の頃から〜

自分がどんな人間で、どう考えてサニーサイドスタジオをしているのかというnote。 子供の頃から集団行動や学校が苦手だった僕は、幼少の頃から一人で遊ぶ事が多く、自分から友達を作ろうとしませんでした。 心配した母親が兄に言いつけ友達と遊びに行く際は一緒に連れて行くよう言っていたようですが、心の中では一人で遊びたいなーと思っていました。 子供の頃は工作が好きで家のポストに入っていた広告や段ボールでロボットやおもちゃの武器を作って遊んでいました。 こう書くと「昔から職人気質だ

アイアン家具屋の自己紹介その1 〜鍛冶屋だった祖父の話〜

2017年の9月にオーダーメイドで金属製品を製作するサニーサイドスタジオをはじめました。 主にアイアン家具や什器、店舗用看板、表札等を作っていて、他にも金属で作れるものなら何でも作るし、金属製品の修理も行います。 他にはDIY向けの「アイアン家具屋が教える溶接教室」を開催していて、初心者の方から経験者まで、アイアン家具作りを楽しんでいます。 鉄工所に入るのはハードルが高く、気軽に訪れる事のできる場所ではありません。 その一方で個人の方が金属製品を作って欲しいと思っても気