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5. これまでのキャリア④

おぜきです。これまでのキャリア振り返り第4弾となります。

30代を迎えて、これまでのキャリア実績不足を取り返すべく、文字通り、「何でもやる」というポリシーで仕事に邁進しました。

バックナンバーはこちらです。
新たな旅立ち
これまでのキャリア①
これまでのキャリア②
これまでのキャリア③

JBSでの冒険

当時私が座長を務めていたitSMF Japanの分科会「ITSM導入CSF分科会」にて、副座長として入ってきたのが飯塚さん(現エモーション・ソリューションズ社長)で、飯塚さんに誘われて、日本ビジネスシステムズ(以下JBS)の面接を受けました。
運用畑ならグループ会社のJBSTだね、ということでJBSTに入社しました。運用コンサルタントとして活動を開始することになります。

運用コンサルタント

JBSTでは運用コンサルタントとして、ITSMを広めるために様々なことをやり続けました。
社内では、ITIL研修の導入JBSの情シス部門におけるISO20000の取得(もうやめてしまったけど)、顧客向けの運用現場や情報システム部門の運用改善や運用設計、アセスメントなど案件多数、ITSMツールであるLMISの販売代理店契約を結んでツール導入など。
ITIL Expertを取ったことで、資格先行だと言われないように、とにかく実践経験を積むことを繰り返しました。
提案〜契約〜要件定義〜設計(運用改善)〜運営支援と対応することで、運用における様々なフェーズでのビジネス経験を積むことが出来ました。

特に、事業サービスにおけるサービスマネジメントの取り組みや、金融機関によるITアウトソーシング予算管理の仕組み作り、1人情シスの包括的な支援などはやっていて面白かったなあと。サービスマネジメントが事業に貢献している、という手応えが少なからずありました。

サービスマネージャー

ある大型サービス案件が取れた時に、運用設計として参加したのがきっかけで大型サービスのサービスマネージャーとなりました。
SaaSとDaaS(Device as a service)を組み合わせたような一社向けのサービスで、体制の立ち上げからサービス設計、運用設計、運用センターの設計と構築を行い、一通り運用設計チームリーダーとして設計フェーズを駆け抜けた後、サービスインからはサービスの責任者としてサービスマネージャーに就任しました。そしてこのタイミングでJBSTからJBSにマネージャーとして出向しました。
このサービスはPC周りのシステムがAzureで構成されており、Azureの運用と、PCとそのキッティングなどの作業をサービスとして提供するもので、顧客交渉も含めて本当にITILに関連するすべてのプロセスに関わることができたことは、大きくかつかけがえの無い経験になりました。 本当に良いノウハウ、ナレッジを得ることが出来たと思います。
そして、ここでServiceNOWを徹底的に使うことで効率化と品質強化の両方を実現しました。

前述の飯塚さんに、「男たるもの億を超えた案件をマネジメントしなきゃ一人前じゃない」と言われたのが心に残っていて、いつしかそこを目標に設定していたので、この案件で目標達成となりました。

サービスマネージャー サービスの拡大

サービスマネージャー兼課長としてラインマネジメントもやっていたのですが、ある時から組織の形が変わって幅が広くなり、当時の部門にある様々なデバイス系サービスの運用をまとめて見ることになりました。具体的には一社向けサービスのみ担当だったのが、様々なお客様向けのPCライフサイクルIntuneの運用(Live support for EMS)マネージドエンドポイントなどのWindows10の運用も見ることになりました。
PCライフサイクルは顧客それぞれのやり方に合わせてカスタマイズすることが多く、それがDaaS(Device as a service)として提供することの障壁となっていて頭を悩ませていました。
当時問題となっていた属人化からの脱却が困難を極めたのでした。

これが、のちのIIJのSIOの考え方の共感に繋がることになります。

そして、多数のサービスをマネジメントするのに、ITILの考え方は使えるなと実感しました。また、この時SIAM FoundationとServiceNOW CSA(システム管理)の資格を取得し、SIAMの考え方とその時やっていたDaaSの考え方を組み合わせることは、今後の世の中では必要なのではないか、と思いました。

サービスの立ち上げと挫折

ふと自分の組織を見渡してみたら、システム運用をやっているチーム、PCライフサイクルのチーム、IntuneやSCCMを運用しているチーム、というチームがあり、このリソースとナレッジを横展開すべくVDIの運用をアウトソーシングとして受けられないか、模索し始めます。
奇しくも、MicrosoftからWindows Virtual Desktop(現Azure Virtual Desktop)というサービスが出たのと、会社の方針もありこれをサービス化することに決めました。
いろんな方とウンウン言いながら作り出したサービスが、マネージドクラウドforAzure Virtual Desktopでした。

当初は、このサービスを入れればお客様は一切運用しなくても良い、というサービスを目指しました。IIJのVDSと同じような構想だったのです。

様々な要因があり、そこは断念しましたが、ここでもサービスの企画、マーケティング、立ち上げ、提案、設計、運用まで一通りを若手と一緒に進められたことは、とても良い経験になりました。

またこの頃、コロナもありほぼリモートワークになったこと、これまでのサービスマネージャー職を持ちつつ新規事業を主体的に進めたことで、仕事量が莫大になり、自分の心と身体が悲鳴を上げるようになりました。
40歳を過ぎて、これまでと同じような働き方では持たなかったのだと思います。

まだ、人に仕事を完全に任せることができなかったのですね。既存事業は優秀なメンバーに任せて自分は新規事業を、というつもりでしたが目を切って任せきれていなかった。また、新規事業を若手中心のチームとしたことで、一からいろいろと教えるフェーズと事業の立ち上げ、急拡大と一気に対応せざるを得なかったという反省がありました。

家庭でも共働きで奥さんが時短からフルタイムになった関係で、2人とも残業しつつ仕事、仕事が終われば家事育児で子供が寝るまで気が休まることはありませんでした。

結局、仕事の大部分を手放してメンバーにほとんどの仕事を任せることになるのですが、任せてみるとこれがみんなしっかりと出来るのですよね。むしろ一生懸命にやる。自分が管理職として未熟なのだなと実感しました。

この頃、身体の調子とは関係なく次のキャリアについて考えることが多くなりました。
目標を立て続けて最低限の目標は達成してきたので、今後はどう生きるべきかと。

私はベンダーの一員である自分、そして自分個人としてどのようにこの後20年を生きていくのか、の両面から考えていました。様々な方と会って話して、話を聞くことを20人チャレンジと称してやったりもしました。

ベンダーとしては、企業のデバイスサービスの全てを企画から運用までまるごとアウトソーシングするサービスを作りたいと思っていました。

個人としては、ある時以前から親しくさせて頂いているCTCの不破さんが飲み会の席でボソッと言っていた「CIO職ってどうなんだろうね」という言葉、ITプレナーズの渡辺さんが言った「小関さんは日本のITを変えると言っているので」という言葉が強く心に残り、自分はCIOになって企業のITを変えていくことを目指したいと思うようになりました。

この時に声をかけてくれたのがIIJでした。

これまでのキャリア⑤へつづく。

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