#9言の葉ひらり_月、つれづれ
◯九月の異名「長月」
九月に入りました。九月の異名は「長月(ながつき・ながづき)」ですが、その語源は明らかではありません。一説には、昼夜の長さが入れ替り、次第に夜が長くなってゆく「夜長月」の略かとされており、平安時代以来の古辞書を見る限り、この語源を人々は広く信じていたといえるようです。
空気が澄み渡り、夜空の月が美しく冴えるこの季節には、茶席の禅語にも月を取り入れた次のような句が見られ始めます。
この句はもともと、唐の詩人于良史(うりょうし)の『虚堂録』に拠るとされています。そこでは、
と続き、本来は春の月を詠んだものでした。それが仏法を説くにあたり、「仏法の真理はいつでもそばにある。それなのに、人々はそのことに未だに気付いていない。それは水を掬っても月に気付かず、花と弄しても衣の香りに気付かぬ者がいるのと同様のことである」という譬えに用いられたようです。
道元が『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』で
と述べているのは、上の流れに沿うものでしょう。
しかし、こうした仏の教とは別に、先に挙げた句は、現在、月そのものの美しさを愛でるものとして人々に親しまれていると思われます。
それは、松尾芭蕉が『笈(おい)の小文(こぶみ)』で述べた、
という天地自然に見出される風雅への気付きに通ずるものと考えられます。
◯月を詠む
秋の月は今も昔も人々の心をとらえてきました。月をみて心を動かされる、そのような思いは古来より幾千もの歌として詠じられてきましたが、百人一首に採択された次の二首は特に知られたものでありましょう。
一首目にあげた大江千里は『古今集』時代の歌人です。上の句の「ちぢ」と下の句の「ひとつ」という語の対照が印象的なこの歌は、実は、白居易の『白氏文集』の句「秋来たりて只一人のために長し」を翻案したものとされています。漢学者の千里らしい歌です。
二首目は『新古今和歌集』時代のものです。ここでは月の姿そのものではなく、その光の美しさが詠み上げられており、『新古今集』の観念的な歌風がよく表れています。
◯月を愛でる
月の愛で方といえば『徒然草』第137段を挙げずにはいられません。
この段で兼好は「総じて月も花もそうむやみに目でばかり見るものではない。満月もさっと時雨(しぐれ)を降らせた後の叢雲(むらくも)に隠れた姿がこの上なく心に染み入る」と述べています。
このことは、現在、私たちが用いる慣用句
とは真反対のことを述べており、兼好の眼光の鋭さを示しています。
着眼点で新鮮さを感じさせるのは、先に挙げた松尾芭蕉による次の句も同様です。
この句は弟子の其角(きかく)によれば、中秋の名月の夜、芭蕉が門人たちに誘われて舟遊びをした際に詠じたと記されています。この月見は静かな孤高の境地で眺めるのではなく、いかにも軽やかで動的です。そこに芭蕉の新しさがありました。この句中、七文字の初案は「池をめぐりて」でした。それが推敲の後、「池をめぐって」とリズミカルな促音になっているところに、芭蕉の工夫が感ぜられます。
◯千古の秋と月
このように月の愛で方は様々ですが、月は今も昔も変わらずに、私たちを照らし続けています。それだけに天地悠久と変わりゆく人の世、我身とを詠んだ詩歌も多いものです。
これは安倍仲麻呂が三十年にわたる唐土生活に終わりを告げようとする時、ふと見上げた空に浮かぶ月をみて、郷愁の念に駆られて詠んだ歌です。『源氏物語』では須磨に流された光源氏がやはり月をみて、京の都(みやこ)を思い出して涙していますし、太宰府に流された菅原道真も同様でした。殊に、罪に流された地で見る月を「配所の月」と言い、古くから次のような成句が存在しています。
今も昔も変わらない秋の月。冒頭に戻り、この時期における茶席では次のような掛け軸を拝見することもあります。
千古とは永久を意味します。この句も、その奥には仏法が潜在するわけですが、真っ先に目に浮かぶのは、私たちの文化が育み、愛おしんできた大和絵のような秋月そのものです。最後に、私個人が秋になると思い起こす禅語を挙げさせていただきます。
言葉は平明ですが、この句をそっと口ずさむと心も体も澄みゆくような気が致します。
国立天文台によると、今年の中秋の名月は9月17日とのことです。
〈引用した古典の原文は『新編日本古典文学全集』(小学館)に拠る。なお振り仮名表記は私に改めた。〉
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