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#6 時の雫_夏の色、子どもの眼(1/3)

色鮮やかな夏の花

 noteの第1回めのエッセイ「#1時の雫_庭の花」で私は定期的な長野の訪問生活を始めたこと、そのお家の庭の花について思い出を綴りました。長野のお家に行くたびに庭の花を頂いて帰るのは今では習慣となっています。7月、私は、庭の主−義理のお母さん−から生き生きとした花をいただき、それを胸に抱えて復路の車に乗りました。
 その日はこの夏、関東で初めて気温が38度を上回るという猛暑に見舞われました。車中、目の前には清冽な青空が広がり、まぶしいくらいに白い、大きな入道雲が立ち上っています。山の緑はますます勢いを増し、いよいよ夏になったことを実感させられました。道中に目を遣ると、ところどころのお宅の庭で大輪のひまわりが天に向かって伸びています。それはまるで夏の暑い日差しに対峙しているようでした。また、時折、道すがら見えるオレンジと朱を混ぜたような花はノウゼンカズラでしょうか。その庭木に咲く花もひまわりと同様に、力強く咲き誇っていました。ノウゼンカズラは、一説によると、脳天をつくような葛、つまりノウテンカズラに由来すると耳にしたことがありますが、その真偽はともあれ、ひまわりと同様に、夏の暑さに負けないエネルギーを感じさせました。
 長野から片道3時間を経て自宅に着くと、さっそく私は花をいけ始めることにしました。車のなかで若干、しおれかかったものはありましたが、私が目をを見張ったのはその花々の色です。#1のエッセイでもふれたように、自宅に持ち帰った庭の花は、花器に生けることによってその花の本来的な色を際立たせることになるのですが、今回はその色がなんともいえず鮮やかだったのです。お母さんからいただいた花はいわば庭に咲くか弱い草木の一種ですが、その花々はひまわり、ノウゼンカズラに劣らず、一つひとつの持つエネルギーが凝縮したような鮮やかで力強い色をしていました。

幼少期の思い出


 夏の色、と言って良いのかもしれません。私はこの庭の花々の持つ鮮やかな色彩に息をのむと同時に、幼少期に過ごした夏休みを思い出しました。

(#5 時の雫_夏の色、子どもの眼 つづく)

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