[詩]配られたカードでしか
UNO!
といって君は去った
8月の朝だった
というのは嘘だけれど
君は何月が好き?
私は絶対に2月ではない
かといって7月でもないけど
案外8月なんだ、意外でしょ?
ゲームを趣味とするのが夢だった
プレステも64も買ってもらえなかったから
だけどいざ手にすると
大したことないんだな
大人になって叶っても
こんなものかと驚いている
カードゲームだけは家族でよくやっていた
最近は世界中のプレーヤーと戦える
高レベルなUNOのアプリが配信されている
彼らは平気で「出直してこい」という意の卵を投げてきて
始めた当初は傷ついたものだ
今では自から投げている
もちろん自分がうまくいっている時だけれど
UNOは最初に手札が配られている
そこに自分の意思はない
私は(現状の社会生活において)ひどく気弱なのだが
なぜかこの時ばかりでは
絶対勝つ
と決意ともいえない自然発生的な思いが湧いてくる
時には最強の手札が2枚もある
時にはどうしようもなく脆弱なときもある
ポーカーと違ってフォールドなど決してできない
ゲームを始めてしまったら
ゲームを始めたのは誰?
まぎれもなく自分なのである
どんなにどうしようもない手札でも
なぜかその時は
諦めというよりは
いけるだろうと思ってしまう
実際に最強のカードが2枚あっても
早くに仕掛けると増やされたカードを持った好敵手が
選択を増やすだけだし
そう思うと黒のない鮮やかで柔和な手札が
心強く思えてくるのだ
そしていつのまにかUNO
配られたカードでしか戦えない
引いては押して
押しては引いて
いつのまにか
1手先や2手先まで脊髄で考えられるようになっている
いつしか自身に卵を投げる輩もいなくなった
ああ楽しい
みんなと駆け引きするのが
本当に楽しい
みんなで笑おう
この瞬間が
特別に楽しい