19時半に約束する食事。安全な国に住む日本人の代償
日本に一時帰国の予定がある。いつも会えない友人たちに会うために一生懸命スケジュールのやりくりをする。独身で働いている子たちももちろんいて平日だと何時から会えるか聞いてみた。
「19時半かなぁ」
そうだよね、私も働いてる時はそうだった。急いで仕事を片付けるんだけど今日中に終わらせたいものはちゃんとやりきって、時に約束の時間にも遅れることがあった。19時半に開始できればまだいい方で時に20時、20時半なんてのはザラ。勤勉に真面目に職務を全うしていたと思う。
アメリカに住んでからというもの街に出かけている人たちの夕食はとても早いし夕方からカクテルを楽しんでいる人も多い。その生活と比べると日本人は本当に真面目でよく働く。そんな仕事投げ出したっていいのに。今日中に終わらせなくたって大丈夫なのに。この違いがなぜ生まれるか、一つの答えに辿り着いた。
最近、イスラエルとハマスの件があったから余計に思うようになった。アメリカに住んでいる以上いつテロに遭うかわからないし銃撃戦に巻き込まれる可能性だってある。いつ死ぬかなんてわからない、と言っていた言葉がそのまま現実になっている怖さや不安。アメリカに来てからリアルにそう思うようになった。
アメリカ人たちは心のどこかでこの状況を理解しているのかもしれない。貯蓄もせずに毎日を精一杯楽しんでいるのかもしれない。「明日死ぬかも」という緊張感が高いければ高いほど、仕事だけしようとは思わないしショッピングも旅行も欲望のままにしたいと思うようになる。アメリカ人と日本人の根本的な違いは「生活の安全度」からくるものではないかという結論に辿り着いた。
日本人は安全な国に住めているからこそ”80歳まで長生きできる”という楽観的な仮説のもとによそ見もくれず仕事をする。安全な国に住めば全てが幸せということではなく、その代償が仕事周りの不自由さなのではないかということを教えてくれている。
絶対的に安全が確保されている国ではないけれど私はアメリカの生活のほうが好きだ。毎日オープンデフレンドリーで人目を気にしないアメリカの方が幸福度が高いから。ただ単純にそれだけの話。