記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

私たちはもう漕ぎだした船の上

「違国日記」最終巻を読了しました。
「違国日記」は少女小説家の高代槙生が交通事故で姉夫婦の娘、高校生の朝を引き取り、生活していく様子を描いた作品です。
試し読みでハマって、気分が落ちる度に何度も読んできた私にとってバイブルのような漫画です。
特に台詞まわしが大好きで各巻に好きな台詞があるのですが、今回は最終巻を読んで思ったことを書いておきたいと思います。

最終巻の冒頭で、槙生はいつしか朝の生活を基準に出来事を記憶するようになってきたことを友人の笠町くんに話します。
笠町くんがその槙生と朝の関係を「衛星みたいに誰かを見てること」と表現したとき、私はドキッとしてページをめくる手を止めました。
あまりにも身に覚えのある表現だったからです。
私は好いている人に対して、それぞれの望むところで幸せにやっていてくれと思っていて、今のところそれが私にとって1番の愛情表現だと思っています。この感覚が言語化された瞬間でした。
「軌道を逸れて離れていってしまう方が衝突よりも怖いんじゃないか」
朝に踏み込みすぎることを怖がる槙生に、笠町くんはそう言って諭します。
私にも耳の痛い話です。
実際、軌道を逸れて離れていってしまった人はたくさん居るように思います。
そう考えると、朝の母からの日記や槙生の残そうとした生命保険は愛する勇気の象徴だなと感じます。それが受け入れられるかは別として。
「与えたものと同じものが返ってこなくていいとか、少し離れてその人に関わっていたいとか、衛星ってのはそんな感じだ」
これを笠町くんが槙生に伝えたのも愛する勇気。大事な人にはこれくらい面と向かって言えた方がいいよな、と反省しました。

「みりちゃんのこと好きだーって思うときさ、すっごい色んなこと考えるよ。いちばんおっきい約束、なんで私たちだけできないんだろうとか、」
物語中盤、朝の友人の恋人しょうこがファストフード店で話したこの言葉も印象に残っています。
私自身結婚にあんまり魅力を感じていないこともあり、私はずっと同性婚を実現するために心を砕いている人たちの気持ちが分かりませんでした。
もちろん同性というだけで選択肢が狭まるのは間違ってるし、生活上不便なこともたくさんある。でもそれだけだろうか。
同性婚を認めてほしいという主張にはそれ以上の想いが乗っていると感じていたのに、その正体が分からずにいたのです。
この言葉の後には「お揃いしたいのに服の趣味がビミョーに合わないとか」と続きます。
普通に付き合ってその先に結婚がある。
そうでないことが当事者をどれほど傷つけているか、ほんの少しだけ分かったような気がして胸が苦しくなりました。

物語の最後、槙生は愛情表現として、この家で暮らしても暮らさなくても良い、幸せでいてほしい、ときどき不幸せでも良いと朝に伝えます。
ずっと「自分にはなにもない」ことを不安がっていた朝にとって、これから先なにをしても良いと伝えること、ただ新しい彼女を肯定することは何にも替えがたい愛情表現であったと思います。
こんな愛情の塊みたいな言葉を、私も私の大事に想う人たちにかけてあげられるようになりたいなと素直に思いました。

私は朝より少し年上で、私の船はもう漕ぎ出しています。
いつか私もだれかの船を作る手助けができるように。
何者でもない自分に焦ることもあるけれど、未だ、ただ新しいだけの私を愛してあげることも忘れずに船を進めていきたいな、と思います。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?