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生きていると辛いこともある。でも、大丈夫。


こんにちは。祥子です。

突然ですが、私は、うつ病を経験しており、現在進行形で治療に励んでいます。

そのことについても少しずつ書いていけたらと思っています。

私の症状のひとつに「思考が死に向かってしまう」というものがあります。

命は大切であると頭では理解しているつもりでも、自分の意志とは裏腹に、ふっと、死を考えてしまうのです。

病気とわかっていても、いつか治ると信じていても、その思考が襲ってきたときはどうしようもなく、悲しくて涙がこぼれます。


消えた!と思っても、発作的にまた出てきて、どうにかやり過ごす。

今は落ち着いて来ましたが、一時はその繰り返しをして毎日泣いていたときがありました。


ある日、「消えてしまいたい」という思考が頭をぐるぐるしているのに加えて、「なぜ辛いことがたくさん待ち受けているのに、この先の人生を生きていかねばならないのか?」と絶望が襲ったことがありました。

人生の辛かったことがフラッシュバックされ、このような苦労がこの先もあるのならば、生きていたって仕方ないのではないのかという思考が頭から離れなくなったのです。

病気であるとはいえ不謹慎であると捉えられるのが怖くて、周りの人には打ち明けることができませんでした。

そんなときに、同じく社会人になってからうつ病を経験した恩人が私の話を寄り添うように聞いてくれて、

「それでも生きている意味は必ずある。」と言ってくれました。

それが分かるのはもっと先の人生かもしれないけど、必ずねと。
寒い冬のあとには、必ずあたたかい春が来るよ。と。


その言葉を聞いて、涙がこぼれました。

「ああ、生き抜きたい。今は辛いかもしれないけど、辛い経験のその先を見てみたい。」と強く思いました。

病気になる前の私は、ずっと、必死に生きている意味を探していました。

何かになること、例えば憧れの職業につくこと、幸せな結婚をすること...が最高の幸せなのだと思い込み、目標や理想を描き、まるでアスリートのように走ってきました。

しかし、病気になって気付いたことは、もちろん何か夢を叶えることも幸せだけど、生きているだけで生きている意味はあるということです。

何者かになろうとしなくても、辛いことがたくさんあっても、
生きている、ただそれだけで、花丸です。

そして、
「今日も1日、よくがんばって生きた。」
未来はその積み重ねで出来ていきます。

思うようにいかなくても、その時にできることを積み重ねる。1日1日を過ごして、「ああ、今日もよく頑張った自分」と思えたら幸せだし、それでいいのだと思います。

もちろん、その先にやりたいことや使命が見つかったら素敵ですけどね。



生きていると、本当に色々なことがあります。

うれしいことや楽しいことばかりではなく、悲しいこと、辛いこと、理不尽なこと、許せないこと・・・。

時に、予想もつかないようなことが起こることもあります。

しかし、物事には必ず裏と表(光と闇)があり、悪いことばかりではありません。

それを経験しなければ分からなかったこと、見えない景色が必ずあります。出会えなかった人もいるかも知れません。

辛いことを乗り越えようとするのにはかなりのエネルギーが必要かもしれませんが、無理やり乗り越えようとしなくても、時間が経って遠くから眺められるようになったときに、結果、それがあってよかったと思えるし、自分を愛おしく思えるようになるのだと思います。


最近は、「大変だ」「苦しい」「辛い」、そんな状況のなかで、「では、ここかどうするか?」、「どう楽しんでみるか」を考えることが自分にとってはプラスになるし、それが人生なのかなと考えています。

人生、万事理想通り、極楽!とは行かない、辛くてしんどいこと、面倒なこともあるのならば、意識して積極的に楽しいことや自分の好きなこと、リフレッシュできることを人生のなかに取り入れる。

究極、今日という1日を、今という瞬間をどれだけ楽しめるか、味わえるかなのかもしれません。

なんだか、とりとめもない文章になってしまいましたが・・・。
それでは、ではまた。


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