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クリスマスに置いてきたものを、私はまだ知らない。

彼と付き合って、6年が経った。

30歳手前の私は、当時の職場の同僚から「今の彼氏と結婚しないなら、誰か紹介しようか?」とまで言われていた。世話好きの職場の先輩から、「私、ちょうどお似合いの男性知ってるんだけど、会ってみない?向こうは乗り気だよ」と真面目にオファーされるほど心配されていたらしい。

時代は平成半ば。まだ、「30歳までに結婚できなければ行き遅れ」という空気が漂っていた頃だ。良かれと思って世話を焼こうとする同僚や先輩を無下にするわけにいかず、とりあえずヘラヘラと笑ってごまかしていた私。

しかし、内心焦っているのは事実。

友達や職場の後輩は、どんどん結婚していく。この前は、私よりも後から恋人ができた子が婚約したと聞いた。なのに彼ときたら仕事に夢中で、正直デートも1か月に1回会えればいい方だ。

恋人がいるのに、会いたいときにいない。

空っぽの心を埋めるために、私は趣味の一人旅やサッカー観戦にのめり込む。だから、ますます彼との距離は広がっているように感じた。このままの生活が続けば、私は生涯独身を視野に入れて生きていかなければならない。一人で生きていくためには、趣味は絶対捨てられない。気がついたら、彼と別れる可能性も考えるようになった。

29歳のクリスマス。
当日は彼が仕事なので、27日に会う約束をした。

「ここで何もなければ、おしまいにする」

世間の空気にすっかり飲み込まれた私は、クリスマスに賭けることを静かに誓った。

しかし、周りには相変わらず趣味にまい進していて、恋人と進展がないように思われている。職場の友人に、クリスマスイブに有給を取って推しのライブを見に行くといったら、「本当に大丈夫なの?」と心配された。「なるようになるよ」と答えたら、陰でひそひそと「彼と終わったのかな」と噂されたらしい。クリスマス当日もいつも通りの格好で仕事をしていたら、「もっとおしゃれすればいいのに」と余計なことを言われた。

うるさい。私のクリスマスはこれからだ。

12月27日。仕事納め。
職場の空気も緩み、世間話に花が咲くようなぐらい暇だった。
私は自分の仕事を淡々とこなし、早めに切り上げた。

待ち合わせ時間までに余裕があったので、ファミレスで時間をつぶす。周りは冬休みに入った高校生や大学生カップルでにぎわっていた。そんな中、携帯をいじったり手帳に書き込んだり、意味のない行動を繰り返した。

時間が経ってぬるくなったコーヒーを流し込む。

もしかしたら今後、ひとりで過ごすことになるかもしれない。街の喧騒の中、今日みたいにひとりでコーヒーを飲んで時間をやり過ごすのが、当たり前になるかもしれない。そう考えると、デート前だというのに私の心はすうっと冷え込んだ。彼と別れたくないからなのか、妙齢でひとり放り出される恐怖からか。私の心を、ざわざわしたものが支配し始めた。

まだだ。まだわからない。
逆転ゴールが生まれる可能性だってあるはずだ。

待ち合わせの時間が近づき、私は心を奮い立たせた。
ファミレスを出て、人込みを抜けて彼との待ち合わせ場所に向かう。

まだいないと思っていた彼は、予想に反して先に到着していた。姿を確認した私は、足を速めて彼のもとへ。

「あれ、なんか疲れた様子だね。大丈夫?」

確かに私は、デートなのに色々考えすぎて疲弊していた。しかし、まだ疲れてる場合じゃない。ウォーミングアップが終わって、試合開始はこれからだ。

「大丈夫」

私は笑顔を作った。同時に、ファミレスでメイク直しを忘れたことを悔やんだ。笑った拍子にグロスがはげた唇が乾燥して、ピシッと皮が引っ張られた。

彼と私は、予約したレストランについた。
そこは、私たちが付き合い始めた時に食事した、思い出のレストランだった。

思い出のレストランでの食事は感慨深いものがあった。と言いたいところだが、実際私は今後のことで頭がいっぱいで、料理の味を覚えていない。口コミ評価の高い有名店で、私は上の空で食事をし、出てきたワインを片っ端から飲み干した。お酒の力を借りないといられないほど、私は緊張していた。

笑顔で会話しているものの、2人の間にはどこかぎこちない空気が漂う。笑い声は空回りし、料理以上に赤ワインが異常な速さで減っていった。彼も私のペースに合わせたのか、飲むペースを上げていた様子。食事が終わるころには、無事に2人の酔っぱらいが仕上がった。

おぼつかない足取りで店を出て、2人でしばらく歩いた。無言だった。酔っぱらってるのに無言だった。2人の酔っぱらいは途中の公園でベンチを見つけ、どちらともなく座り込んだ。

周りには誰もいない。
公園は静寂に包まれていた。

ふと彼が、口を開いた。

「あの、あの、あのぉぉぉ…」

「どうした?気持ち悪いの?」

「いや、そうじゃなくて。大丈夫」

彼は気を取り直すと、私を見据えた。

「あのさ。あの、あのね。あのさぁ・・・」

「・・・」

🎄

「あのさ」

彼の声がする。
気が付いたら寝ていたらしい。
あわてて目をこすって起きると、彼は笑いながら言った。

「また今年も飲みすぎちゃったね。あの時と一緒」

今日は家族でクリスマスビュッフェに出かけ、帰ってきたところだ。私はタクシーから降りて家に入った途端、ソファで寝ていたらしい。

そういえばあの時もそうだった。

🎄

あの日、公園のベンチで彼が話を切り出した瞬間、私は寝落ちした。ワインを飲み過ぎたせいで酔いが回って、クタっと彼に寄っかかって寝てしまったのだ。

彼がプロポーズを用意してくれていたというのに。

通りがかった公園も、彼の計画のうち。
静かな場所でプロポーズするつもりだったらしい。
だから、彼も緊張して上の空。
私とおなじく、料理の味も分からず、会話はぎこちなく、やたらワインを飲み干していたのだ。

なのに私がベンチに座った途端に眠ってしまった。
寒空の下、彼は私を必死に起こし、何とかプロポーズをしたのだった。

酔っぱらった私は、秒で「いいよ」と答えたらしい。
「らしい」というのは、私の記憶にないから。いつの間にか、逆転ゴールが生まれていたというのに。肝心の私の記憶には、何も、ない。
気付いたら結婚の約束をしていたと言うのが、事の顛末だ。

だから、プロポーズの言葉は覚えていない。
何度も聞いたが、はぐらかして教えてくれない。
泥酔して寝落ちした罰らしい。

いや、私、それなりに待ってましたよ。
プロポーズを。
なのに、自分で台無しにしてしまったのだ。
ああ、私のバカバカ!

どうやら私は、一生プロポーズの言葉を知らずに生きていくことになりそうだ。

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