神様、私に書く力をください。
私は、文章を書けない。
と書くと、「note9か月書き続けて何言ってるの」などと方々から突っ込まれるかもしれない。しかし、やはり私は、文章を書けない人間だと思う。
「こんなこと書きたい」「あの体験をみんなに伝えたい」と考えて、文章にしてみる。しかし、私の表現力や語彙力では、上手く言葉にできない。挫折して途中までしか書いていない下書きが、たんまり溜まっている。
noteを始めて9か月、文章力や語彙力・表現力にコンプレックスがある私は、いろんなnoteや本を読んでは文章術を吸収し実践してきた。時には壁にぶつかりながら、よじ登って乗り越えてと繰り返してきたはずだ。
昨日までに、つぶやきも含めて403記事書いた。
それでも、思ったことを表現できた記事は、数少ない。片手でちょうど足りるぐらいしかない。
私の場合、書いているうちに、思考が止まって急に進めなくなることが多い。逆に、だらだらと書き続けて長くなり、書いている途中から推敲をしてしまうこともある。集中力が長続きしないのか、急に我に返って「ここおかしい」などと突っ込み始めてしまう。すると、書きたい気持ちが強い時でも、穴の開いた風船のようにやる気がしぼんでしまうこともある。
勢いがついて、ダーッと書ける人が羨ましくて仕方がない。
書こうとしているネタやエピソードが強くないのか。
本当に書きたいと思っているか。
自問自答を繰り返しても、明確な答えが出たことはない。
もしかすると、物事への解像度が低いのかもしれない。
解像度の低さは学べば何とかなるかもしれないと思い、ビジネス書まで読んだ。しかし、本を読んだからと言って簡単に身につくわけではない。人間は忘れる生き物だ。特に忘れっぽい私は、新たな物事を覚えるのが苦手だし、学習能力もさほど高くないと思う。一時的に記憶できても、記憶を記録する機能は、人より劣っている自覚がある。
それでも、文章で自分を表現したい。
近道大好きな私が、書くことのためならと遠まわりを選んで、地道にコツコツ歩みを進めている。努力しているなんてnoteの人にしか言ってないけど、熱しやすくて冷めやすく飽きっぽい私がコツコツ続けるなんて、奇跡に近い。昔から私を知っている人からすると、「勝負師タイプから転身?」と思うだろう。
実際の短距離走は遅いが、人生の短距離走はそれなりに走ってきた私。そんな私がこともあろうに、文章を書けるようになりたくて地味なことに手を出している。
省エネ人生を40数年生きてきた私が、やっと出会えた「書くこと」。国語の授業では見いだせなかった、文章を書く楽しさ。書くことで得られる癒し。
苦しくてもやめないのは、もはや生きがいのように感じているからかもしれない。
文章で自分を表現するのは難しい。
でも、思うように書けたら誇らしい。
書いた文章に反応があったら、嬉しくなる。
嬉しくなると、さらに書きたくなる。
思い通りに書きたくなるから、書き方を習得しようとする。
努力で何とかなるものではないかもしれない。
でも、私に天性の才能がなく、凡人である以上、足りないものを補い続けるしかないし、学んだことを文章にして書くしかない。たとえ忘れても繰り返し学習するしか、私には方法がない。
私は欲張りだから、もっと自分の文章を読んでもらえるように、勉強を続けていくつもり。人のnoteも読み漁るし、本もたくさん読み続ける。
今までも、これからもずっと。
だから、神様。
お願いします。
私に書く力をください。