30代は、なかなかつらい
あともうひとふんばり!! いま、わたしはそんな気持ちです。そう言って、今晩わたしは自分を叱咤激励しています。そうやってお尻をたたかないと、前に進むことができなくなってしまいそうです。40になったら楽になるよって聞いたことがあります。それを言った人は男性で、私は女だからちょっと違うかもしれない。だけどそれを聞いたとき、あ、そうなんだって少し心が軽くなる感じがあったんです。だけど、こどもも産みたいし、結婚だってもう一度したい。私幸せになりたいんです。私だって、幸せをかみしめてみたい。愛し愛されたいと心から望んでいます。だから、あっという間に30代が終わってしまうのは困るんです。だけど、思ってた以上につらいんです。そのときそのときを大切に、今まで一生懸命やってきたわりに、今この時がつらいんです。本当は年齢なんて気にしないで、一日一日、自由を感じて生きていたいんです。きらきら生きて、気がついたら幸せいっぱいの、あしたが待ちきれない、そんな日々を生きてみたい。そんな風になれば素敵なんだけど、今の私は、ひとりでふんばって、なんとかもちこたえているんです。助けを求めても、誰も助けてなんてくれません。冷たいものです。私のSOS、全然届かないんです。気付いていても、私を助けてくれる人はいません。一番助けてほしかった人はいなくなりました。抱きしめてほしかった。私にとって、一番近い人でした。だから最後は本音で、ダイレクトに助けてって言いました。本音を言える人だから言いました。助け合っていると思っていたから。愛があると思っていたから、勇気を出したんです。そしたら、私が自分で解決するべき問題で、ぼくには関係が無いと言われてしまいました。私にとって、唯一無二の人だったのに。
"私から離れていく人がいても、私だけは私を見放したらいけないんだよな"って、こないだ自分の部屋の中でふとつぶやいていました。その自分の声を聞いて、こんな当たり前のこと、わかってたようなことだけど、こんな風に声に出してつぶやくなんて、私もしやはじめてちゃんと気がついたのかなって、はっとしました。それなのに、その数日後には、夜になったら、電気を消して布団に入った途端、もういいんだけどな、もう生きていたくないんだけどなってつぶやいていました。そしてその次に考えることは、それにしたってもう少し色々片付けないとなってこと。家族に迷惑かけても悪いしなって思ったり、まぁ迷惑かけるっていっても知れてるかとか思ってみたり。実際、私は少し前から自分の人生を片付けはじめています。自分がきわどいところにいる自覚があるから。生か死か、どっちに転んでもいいようにって感覚です。今夜の私は涙も出ないしかなり冷静です。だから、大前提、生きるために今これを書いています。正直うつっぽいときもありました。だけど今の私の段階はそこをもう通りすぎていると感じています。これをもし読んでくださってる人がいるとしたら、もしかしたら病んでる、病気じゃないって思うかもしれません。だけど、そういうわけではないと今私は思っているんです。なんていうか、つらいのレベルがとにかくかなり高い状態なんです。もう少しはきだしたいことがあるので、もう少し書きます。
さっきも書きましたが、今夜の私は涙も出ないし冷静です。正直、泣ける日はいいほうです。この状態自体、自分でけっこうやばいって思うわけです。今夜の私はこんな感じです。あー、吐き出すとこないなって思ったんです。SNSでは思ったことなんて書けない。本当は叫びたいこと、声を大にして言いたいこといっぱいあるのに。ネガティブってとられかねないような内容を書いてしまっては誰かを嫌な気持ちにさせてしまったり、メンタル大丈夫?自分でなんとかしろよ、前からちょっと不安定だよねとか思わせてしまう、こんな風に思うわけです。そもそも、私は人に心配してほしかったり、気をひきたいわけではないんです。それに実際、みなさんできた方が多くて、自分の思いをさらけ出す人なんてほとんどいない。ツイッターとか、裏アカ?とか、そういうのも自分には違うんです。少しでも楽しいことを見つけたら写真を投稿して少しはにこってなれてたけど、ちょっとそれももうなんか違うぞってとうとう今夜なってしまった。そんなとき、ネットで色々記事を読んでいたら、最近気になっていたもの、それに加えて新しいものも発見。ここのところ気になっていたのは、30代の死因の原因の1位が自死だということ。それに加えて自死と自殺の違いについてやそれらの区別を投げかける人々の声について。さらに、今の若者は自助の傾向にありすぎるというもの。私も自助は素晴らしいと思っている。自律自助でありたいと思っている。だけどその記事には、自分ではどうしようもないときは必ずあると書いてあった。涙は出ないけど、ねー、やっぱりそうよねーって心の中で大きな声でつぶやいたよ。オギママは、とくに30代女性のことについて書いていた。私は独身でこどもはいないから少し記事の内容とは違うんだけど。だけど、そうよ、女の30代は男の30代と違うのよって、また心の中でつぶやいた。今日まで私は自分が弱いからいけないって思ってきた。未成熟だから、ここにきて人に助けを求めてしまった。そのことが恥ずかしかった。大切な人に負担をかけてしまったんだとまで思った。みんな自分のことで精一杯なのかなって思うこともできる。だけど、今の私が正直に思っていることは違う。身近な人が本当にピンチなときは、SOSを出された人は、手を差しのべてくれたっていいんじゃないかと思う。SOSを出された方は、その人の命に優先順位なんてつけられないんじゃないかって思う。深入りしたくない、気味が悪いとか色々思うのかもしれないけど、そもそも無関係の人に助けなんか求めないよ。人が生きるか死ぬかの瀬戸際の一歩手前のときに、何もしないどころかもっと追い詰めるようなことをするなんて。私は本当に悲しかった。心も身体も枯れていった。携帯だけを握りしめて、声も出なかった。ネットには、ネガティブな人とは距離を置け、幸せになれない女の特徴、こんな人とは関わるな、そんなことばっかり。無責任だ。全部説明したらきっとわかってもらえることも、話すら聞いてもらえない。お金を払って占い師には電話ができても、命のホットラインなんてどうやってもかけられない。私は今夜、声をあげたくなった。だからこうして書くことにした。私みたいな人のことを心配してくれている人の記事が、今夜の私を救ってくれました。今、私は涙を両目に溜めています。
三浦春馬くんのことも、芦名星ちゃんのことも、竹内結子さんのことも、自死だと言われている死が私は本当にくやしいんです。顔と声と存在を知っているから、私にとって愛すべき人たちだったから、余計にくやしいんです。人はひとりで生まれてきてひとりで死んでいくのかもしれませんが、ひとりぼっちで生きていくために生まれてくるのではないと思います。私は人のせいにもしたくないし、人を恨みたくもありません。許しは大切なことだとも思いますが、必ずいつも許さなければいけないとも思いません。誰もある日突然死なないと私は思います。段階があると思います。究極に弱ってる人を追い詰めるようなことはしないでほしい。助けを求められてしまったら、必ず共倒れになるとは私は思いません。抱きしめてくれるだけでも力になります。背中をさすってくれるだけでもいい。大人になったこどもを、ほとんどの日本人の親は抱きしめません。家族が生きていても、大人になってひとりぼっちになってしまったら、誰も抱きしめてはくれません。助けを求める人は、今の弱った自分を助けられる人だとわかって助けを求めています。少しの愛でもう少し生きられるのに。自分が生かされていると思ったら、今自分より苦しんでいる人を精一杯抱きしめることくらいできるんじゃないかな。助けてって言うこともできないこんな世の中はおかしいと思う。あらゆる状態の人々をひとまとめにしてはいけないと思う。ネットには誤った情報が溢れている。人間が人間を苦しめていると思う。キズの深さなんて関係ないと思う。手遅れになる前の少しの愛だと思う。事故があったらそれに気付いた人はとっさに救急車を呼ぶと思う。どうして身近な人が身近な人のことを助けてあげられないの。遠慮がちに出しているサインも、勇気を振り絞って出しているサインも、無視しないでほしい。弱っている人はあきらめてしまいそうなところでふんばってるんだから。心身は一如だと思うけど、必ずしもそうとも限らないと思う。愛ばっかりは、自分のだけじゃ足りないときがある。だから、関わった人には責任があるんだと思う。
私はたまたま昨日最後までみた映画が、何度もみたことのあるオールドボーイでよかった。私だってまだ、生きる権利があるって思ってる。私はまだ絶望しているし、明日はどうなるかわからないけど、今日はたぶん、ラッキーだったんだと思う。