ガンダム・ファンは『ドクトル・ジバゴ』と『ゴッドファーザー』と『コンバット!』を観よ
すんどめの勘定が正しければ、『機動戦士ガンダム』は来年で40周年である。
ガンダムについて約40年間、沈黙を守ってきたすんどめであったが、この節目を機に、ついに沈黙を破る。
まったくガンダムに関しては、言いたいことが腐るほどある。
もう容赦はしない。
世のガンダム・ファンを名乗る人々よ。
今すぐ映画『ドクトル・ジバゴ』と『ゴッドファーザー』、それにテレビ・ドラマ『コンバット!』を観なさい。
〇
あなたが「本当の」ガンダム・ファンなら、『ドクトル・ジバゴ』(1965年、米伊合作)の素晴らしさが分かるはずだ。
ロシア革命で難民化したモスクワの市民たちが、貨物車両にタコ部屋同然に詰め込まれ、明日はどこへ連れて行かれるのかも分からぬ不安の中、酷寒のウラル山脈を越えてゆく、あのウラル鉄道は、『ガンダム』のホワイト・ベースなのだ!
そもそも『ガンダム』は、選ばれた戦士でも何でもない民間人たち、とりわけ民間の少年少女たちが、抜き差しならず戦闘へ巻き込まれてゆく物語だ。
決してヒーローものでもなんでもない。
戦闘地域に住んでいたために避難を余儀なくされ、事実上の難民船ホワイト・ベースに乗り込み、安住の地を求めて宇宙をさまよう、ごく普通の人々。
それは、革命勢力に家屋敷を没収され、モスクワから追い出された『ドクトル・ジバゴ』の難民の姿そのものだ。
しかし、ガンダム・ファンに『ドクトル・ジバゴ』をぜひとも見せなければならない理由は、そうした表面的な類似性にとどまらない。
映画の序盤。
革命前夜のモスクワの情景を、観よ。
人物の配置、彼らの運命の絡まり合い方が、なんとも言えずガンダム的なことに気づくだろう。
不思議と、ガンダム的な香りが漂う。
たとえばラーラという、金髪美女にして悲劇のヒロイン。
この、気の毒であると同時に何か謎めいた女は、どういうわけか、妙に『ガンダム』のセーラさんのように見えてくる。
何が共通するという訳でもない。
立場も違えば、彼女の身に降りかかる災難の内容も大きく異なる。
にもかかわらず、『ガンダム』以降の視聴者は、ラーラの姿に色濃くセーラの影を見ずにはいない。
このように、外形的な共通点はないにもかかわらずその雰囲気、イメージにおいて強く『ガンダム』を想起させるということが、逆説的に2作品間における強いつながりの証となっているのである。
とりわけ最も面白い人物は、ロシア革命前夜においては情熱的な活動青年で、当局の弾圧を受けて顔に生涯消えぬ傷を負い、革命後は新政府のダーク・サイドを担当してさまざまに暗躍する、不気味に陰のある男である。
この男、主人公のシバゴ先生と、どういうわけか長年にわたり、ライバルとも言える不思議な因縁で関わり合い続けるのだが、2人のその運命の絡まり合い方が、なんとも言えず『ガンダム』のシャアとアムロのようなのである。
忘れたころに現れる、顔に傷のある男。
我々視聴者は、驚く。
「あーっ、あの男だ!
ここでまた、ジバゴの人生に現れるのか!
まるでシャアみたいだ!」
と。
むろん、軍の要職に在りながら常にマスクをかぶって、素顔とその傷を隠し、マントをひるがえしているシャアという人物のヴィジュアル・イメージは、『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーそのままではある。
しかし、それは当時の時代の要請にこたえ、宇宙を舞台に戦うSFものを作れと言われれば、そこはやはり『スター・ウォーズ』を意識しないわけにはいかなかったというだけのことであり、『ガンダム』を創り上げた人々の目標は、むしろ、
(『ドクトル・ジバゴ』のような素晴らしい作品を生み出したい……!)
ということであったとしか思われない。
※
ところで。
『ガンダム』には、「ククルス・ドアンの島」という挿話がある。
ひょんなことから、小さな島で敵方の兵士らしき謎の男の世話になる主人公。
男は畑を耕し、数人の幼い子供たちを養って、しかし「パパ」とか「父さん」とは呼ばれず、「ドアン、ドアン」と名前で呼ばれ、なつかれている。
主人公は不審の念をぬぐえない。
ところが物語の終盤、実はドアンは、凄まじい戦火の中で親を失い自らも踏みつぶされそうになっていた戦災孤児たちを見殺しにできず、脱走兵となってこの島で彼らを守っていたのだということが明かされる、という物語なのだが……
さて、これが『コンバット!』でなくて、なんであろう。
第2次世界大戦のフランス戦線を描いたテレビ・ドラマ『コンバット!』(1962~67年、米)は、まるで「ククルス・ドアンの島」のような話ばかりでできている。
むろんアメリカのドラマでもあり、長年放送され続けた中にあっては、単に米兵がヒーローでドイツ兵は悪者という、短絡的で差別的な、くだらない回もなくはない。
しかしその一方で、『コンバット!』の真骨頂はやはり、ドイツ兵だって人間だし、米兵だって立派な人間ばかりではないとする、極めて健全な人間観そのもの。
たとえば、壮絶な市街戦で町中が火の海と化し、米独双方の弾丸が無数に飛び交うその真っ只中に、突如1人のフランス人女性が飛び出して来て、
「私の赤ちゃんはどこ!?
私の赤ちゃんを探して!」
絶叫する姿を目の当たりにした米独の将校、互いに、
(ハッ……!)
となり、銃撃をやめさせて、将校どうしの権限で一時休戦協定を結び、呉越同舟、米独の兵士たちが敵味方なく協力しあって1人の赤ん坊を必死に探す物語。
あるいは、主人公ヘンリー少尉がケガをして、やむにやまれずフランス人の民家にもぐりこんでみれば、そこには若い女性と彼女の年老いた母親のみ。
娘は少尉に親切にしてくれるものの、母親は米独を問わず兵隊さんというものをことごとく怖がり、不信感を持っており、なんとか早く出て行ってほしいという態度を崩さない。
たしかに、その地域は目下独軍の掌中にあり、米兵をかくまっているとばれたらこの母子もどんな目に合うか分からない。
しかし、ヘンリー少尉もまた命にかかわるケガを負っており、どうしても今この瞬間は、母子の世話にならなければならない。
めいめいが、めいめいの生命と倫理とに立脚し、どう行動するのが人間としての本当なのか。
そんな問いを、お茶の間へ突き付ける。
これが『コンバット!』という作品なのである。
『コンバット!』を知っている人が『ガンダム』の「ククルス・ドアンの島」を観れば、だれもが思うであろう。
これは、まるで『コンバット!』にありそうな話だな……、と。
※
さて。
いよいよ映画『ゴッドファーザー』(1972年、米)について語らねばなるまい。
断言しよう。
『ガンダム』に出て来るザビ家という家は、『ゴッドファーザー』のコルレオーネ家にほかならない!
誰が何と言おうとそうなのだ。
コルレオーネ・ファミリーは、まあざっと次のような家族構成になっている。
まず、恰幅のいい父親。
彼は自分が生き残るため、また一族を繁栄させるため、他人を殺し、死に物狂いで戦って生きてきた、酸いも甘いも知り尽くした大物である。
そんな彼には、息子が3人、娘が1人いる!
長男のソニーは乱暴なヤクザ者でとにかくケンカっぱやいが、異常なほど妹を溺愛しており、妹のこととなると頭にカーッと血がのぼって、見境がつかなくなりケダモノ同然の残虐な暴力行為に及ぶ。
次男のフレッドは何のとりえもなく愚鈍で優柔不断、しかし人一倍優しくて、普通の家庭に生まれればとてもよいパパになったであろう男である。
そして三男のマイケルこそは、二枚目の秀才で学歴・軍歴も高く、父親のマフィア家業に反発するなどマジメな青年であったが、実はいちばんの野心家・謀略家であり、悪魔のような冷酷なボスへと成長してゆく。
長女で末っ子のコニーは、ヒステリーの持ち主で情緒不安定、すぐに愁嘆場を演じて泣きわめくが、案外いちばん正しいことを言う。
「兄さんは人殺しよ!」
いや、その通りだよ。
「パパが生きてたら反対するから、パパが死ぬまで待ってたのよ!」
よく分かるね、鋭いよアンタ。
と、このように個性豊かな4人のきょうだい。
この4人を、ちょっと入れ替えたり、一部を逆転させたり、くっつけたりすれば、そう、ザビ家になるではないか。
むろん『ゴッドファーザー』という名作の影響は計り知れなく、男3人に女1人というきょうだい構成のアイディアは、手塚治虫の『奇子(あやこ)』にも行っている。
田舎のお大尽である旧家において、当主は因習に束縛された好色の権力家、長男は父親に似た権力家だが弱虫、次男は裏も表もある謎の復員兵、三男は理屈っぽく頭でっかちな正義漢、長女は共産主義の地下活動にかかわる情熱家だが愚か。
しかし、手塚治虫の場合はここに歳の離れた奇子という次女を産むことによって、いかにも手塚治虫らしい怪しい世界を現出することに成功し、もはや『ゴッドファーザー』のフォロワーの域を完全に脱している。
また、そもそも『ゴッドファーザー』自体が、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を下敷きにしているのかも知れず、ルーツを遡ればきりがない。
だからこそ、ザビ家とコルレオーネ家の美しい対応関係は、『ガンダム』を創った人々による『ゴッドファーザー』への飽くなき憧憬を物語ってやまない。
それは、何度も強調するように、表面的・外形的な類似性によってではない。
機械いじりが好きなだけの虫も殺さない少年アムロが、戦場で多くの敵を殺戮し、恐ろしい戦士へと変貌してゆく『ガンダム』。
そこを描いた作者の意識から、『ゴッドファーザー』の主人公マイケルの極端ともいえる変貌へと向けられた強い強い眼差し。
これこそが『ガンダム』の本質であり、その意味で、『アラビアのロレンス』など他の名作・大作にも、『ガンダム』の視野は及んでいるであろう。
余談だが、『ゴッドファーザー』の冒頭のアイディアの元となった黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』における主人公の暗躍は、『ガンダム』のシャアや手塚治虫の『ムウ』の主人公に直接受け継がれている。
『ドクトル・ジバゴ』『コンバット!』『ゴッドファーザー』の3つは、あくまでも代表的な例であり、氷山の一角であるに過ぎない。
※
このように、『ガンダム』の作者たちは、『ドクトル・ジバゴ』や『ゴッドファーザー』のような素晴らしい映画を目指したい、『コンバット!』のような素晴らしい連続テレビ番組を創りたいと思っていたに違いない。
武器や乗り物のメカニック・デザインなどは、どうでもよい。
ニュー・タイプだのミノフスキー粒子だの、そんな概念はどうでもよいのである。
(ニュー・タイプもミノフスキー粒子も、ともに『ガンダム』作中の専門用語である。
その定義については、ここでは触れない。
なぜなら、ここでその定義を述べようとすれば、たちどころにいわゆるガンダム・ファンと呼ばれる人々から雨あられのごとく反論や訂正が殺到するからである。
詳しい意味をお知りになりたい方は、ご自分で検索し、調査されることをお勧めする。)
このようなことを言うと、世のガンダム・ファンからは、
「何を言ってるんだ。
ニュー・タイプとミノフスキー粒子がなければ、ガンダム世界と言えないじゃないか」
などと必ず反論されるし、彼らは反論し始めたら決して退かない。
が、まさにこのような、いわゆるガンダム・ファンの性向こそが、これまで述べてきた『ガンダム』の本質的目標を分かりにくくし、真の魅力を隠し、怒られることを承知で言うが、いわば「本当の」ガンダム・ファンの獲得を困難にしているのである。
『ガンダム』を最初に監督した富野由悠季氏は、以前テレビ番組で、次のようなことを言っていた。
即ち、『機動戦士ガンダム』が最初に放送されたとき、視聴率は決して高くなかったというのは有名な話であるが、ではそのとき最初に『ガンダム』を発見したのは誰であったかというと、それは中学生ぐらいの女の子たちであった、というのである。
一見、意外な話ではある。
今観ると、女の子ウケする要素は微塵もない、ように見える。
絵も汚らしく見えるし、いわゆる美形キャラと呼べそうな人も出て来ない。
中身はもちろん、宇宙を舞台にロボット(と言うと「ロボットではない!」と反論する方がいるが、まさにその、あなたが「ロボットではない!」と思っているところのもの)が戦う話であって、いかにも少年向け、男性向けの作風であることは、その後の結果を知っているせいか至極当然であるように思われる。
しかし、虚心坦懐よくよく観れば、なるほど主人公には少年ヒーローにつきものの元気・覇気がない。
父親が開発したロボットへ偶然乗ることになったという以外は特段、選ばれた戦士でもなければ特殊能力を持っているわけでもない、いち民間人。
そんな主人公を含む、ごくありふれた民間人たちが難民化し、幼い子供から年寄りまでが路頭に迷い、あまつさえ戦闘に巻き込まれてゆく物語は、なるほど少年向けというわけでも男性向けというわけでもない。
即ち、中学生の女の子であろうとなかろうと、『ドクトル・ジバゴ』のような、家族や男女の普遍的な愛の物語に対する感受性こそが、本来『ガンダム』を発見する感受性であったのだ。
すんどめは、物的証拠も示さないままあえて断言する。
『ドクトル・ジバゴ』に感動し、『ゴッドファーザー』に感動し、『コンバット!』に感動するのとまったく同じように『ガンダム』に感動した人々は、「ニュー・タイプ」という概念が登場した段階ですでに『ガンダム』に絶望している。
「なんだ、結局アムロも選ばれた特別な人間だったんじゃないか」
と。
そうなってしまっては、彼らにとっての『ガンダム』の存在意義は完全に無化されたも同然だ。
このように絶望した人が、実は世の中には膨大にいるはずなのである!
こう言うと必ず、
「ニュー・タイプは特別な存在じゃない。
決して超能力とか、神に選ばれたとか、そういうことじゃない。
ある意味、誰でもニュー・タイプだ」
という反論が、「ガンダム・ファン」から来る。
それは、設定上では確かにそうなのだろう。
だが、問題の本質はそんなことではない。
世に隠れている本当のガンダム・ファンたちが、そのように感じ、そのように絶望したという事実が重要なのだ。
絶望以来、彼らは身を隠している。
決して表には出て来ない。
何故なら、出て来ようものなら世のいわゆるガンダム・ファンたちからコテンパンにやっつけられるということを、彼らはちゃんと知っているからだ。
彼らは静かに、ひそやかに、そっと、しかし力強く、今も本当のガンダム・ファンを続けている。
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