漫画みたいな毎日。「私と夫は、セイウチの夫婦に似ている。」
平野レミさんが、「お財布はジップロックなの!」とおっしゃっていたのを聞いて、お財布をジップロックにしたら、レミさんみたいに良い意味で能天気な生き方のきっかけになったりするだろうかと思ったことがあった。
「お財布、ジップロックにしてみようかな!」と私が夫に話すと、夫は、心配そうに、「ちゃんと閉められる?」と言った。
私は、ジップロックをきちんと閉められない。
もちろん、閉める気持ちはある。しかし、後から夫が使おうとして見てみると、大半は閉まっていないらしい。
夫にそれを責められたことは、今まで一度もない。
中途半端にしか閉まっていない部分を「また開いてたよ。なんで閉められないんだろうねぇ?」と笑ってやり直してくれている。
ジップロックをきちんと閉められる人と結婚してよかった。
ジップロックを閉められない人を責めない人と結婚してよかった。
やりとりをする度にそう思う。
結婚前に、私が夫に対して物凄く感心したことが、いくつかあった。
スーパーやコンビニで配られていた手付きビニール袋の畳み方がその中のひとつだ。
ビニール袋は、何かの時の為にと車や彼のカバンにしまわれており、何か必要があれば、さっと取り出してくれる。取り出されたビニール袋は本当にうっとりするくらいきちんと畳まれているのだった。
夫曰く、「線の通りに畳んでいるだけだよ。」らしい。
彼は、全般的に仕事が丁寧だ。時間をかけられる所は、時間をかけ、丁寧に作業をする。洗濯物の畳み方も、私よりも丁寧だと思う。ちなみに長男がその遺伝を受け継ぎ、私よりも洗濯物の畳み方が上手い。
夫の丁寧さに、私がおむすび屋を立ち上げた時にも沢山助けられてきた。
丁寧さは、暮らしをやさしく、してくれる。
ジップロックの事が、記憶のフォルダから連なって引き出されたのは、先日、家族で訪れた水族館のセイウチの水槽の目の前にしてのことだった。
セイウチの獣舎には、3頭のセイウチが暮らしている。
お父さん・オスの〈ウチオ〉は身体が大きく迫力がある。注目されるのが大好きなのだそうだ。
お母さんである、メスの〈ウーリャ〉。ウチオより小さい。
2頭の間の子ども・メスの〈つむぐ〉。今年の5月に産まれたとのこと。赤ちゃんといっても、生後半年にして100キロ近いというのだから、驚く。でも、その顔は親のセイウチと比べると、あどけなく、黒目がちだ。動物の赤ちゃんは、どの動物も手放しで可愛いと思える。
水族館では、セイウチの食事タイムに、セイウチの生態について、飼育員さんが解説をしてくれる。
一日に食べる餌の量は、オスで40キロ、メスは30キロくらい。イカナゴやニシン、ホッケをなどを食べるのだそうだ。
ハンドサインではなく、人間の言葉を20種類くらい、聴き分け、理解しているとのことだった。
人間の言葉を聴き分けるから知能が高いといえるのかどうか、というのは、人間の主観なのだろうが、コミュニケーションが取れるということが、彼らを暮らし易くしているのであれば結構なことだ。
さらに、セイウチの夫婦についての飼育員さんのお話は続く。
「オスのウチオは身体は大きいけど、結構、器用なんです。口から吐き出して水を飛ばす時にも、微妙な量を調整できるんです!距離も調整できるんですよ!」
大きな身体に似合わず、と言っていいかは、わかならいけれど、今でいう「ギャップ萌え」と言えなくもないのかもしれない。
さらに、飼育員さんは、こう続けた。
「メスのウーリャは、大雑把で、大量に吐き出すだけです。」
正直にいえば、今までセイウチにそこまで興味を持っていなかった。大きいなぁ、くらいの認識だった。
しかし、この解説を聞いて、「このセイウチ夫婦は、私と夫では?!」と思えた。単純な構造の私に、急に湧き上がるセイウチ夫婦への親近感。子どもがいることだけが共通点のママ友よりも、心の距離が私から一方的に近づいいたかもしれない。
夫は私より、器用だ。そして、おそらく繊細だ。
そして、前述の通り、私はジップロックをきちんと閉められない。
自己弁護するようだが、お母さんが多少大雑把なくらいの方が、子どもたちも逞しく育つはずである。(我が家比。)細かいところは、お父さんがフォローしてくれるはず、だから。
加えて言うなら、〈大雑把〉と、〈雑〉はまったく違うものだと思っている。
子どもたちや、自分以外の人と暮らしていると、相手に対して、決して雑にしてはならない部分が必ずあるから。
相手が大事だと思う部分、相手を大事だと思う部分は、丁寧にしたい。
大雑把な私は、そんな風に思っている。
ちなみに、このセイウチの夫婦、メスのウーリャの方が身体が小さいが、夫のウチオよりも強い、かかあ天下だそうだ。
かかあ天下、夫婦円満。
(セイウチの画像は、おたる水族館のHPよりお借りしました。)