漫画みたいな毎日。「〈整った技〉により、私は、私を、回復する。」
私は、天秤座だ。
ものすごく、占いを信じているわけでもなく、
まったく、占いを信じていないわけでもない。
とある占いで「今週の天秤座」のコラムを読む。
まさしく。
私は、疲れている時ほど、「美味しいものが食べたい」と思うし、「整った技」を見ると、かなり回復するのだ。
〈美味しいもの〉
〈整った技〉
〈面白いこと〉
これらは、私を回復させてくれる。
近所に街のパン屋さんがある。
そのパン屋さんは入口も一間ほど、お店の中もお客さんが3人入ったらすれ違うのも難しいくらいの広さである。
パン屋さんには、ドライイーストを使ったパンと、天然酵母のパンが同居している。そのバランスが私は好きだ。
「天然酵母のパン屋さんというのは、酵母の管理が大変なのよ。」と、家に業務用オーブンを入れ天然酵母でのパン作りをしている友人が以前、話していた。それゆえに体調を崩してお店が続けられなくなることもあるとか。
ドライイーストのパンと天然酵母のパンの同居のバランスが、長くお店を続けていける秘訣なのではないか?と密かに思っている。
パン屋さんはご夫婦が経営しており、ご主人がパンを焼いていて、奥さんがレジや品出しを担当している。
我が家のお気に入りは、ずっしりと重たい天然酵母の食パンだ。一切れ食べたら、ご飯をしっかり食べた後の様に、お腹がしっかり満たされるのだ。
食パンを手に取り、お会計をすると、奥さんは、「どのくらいの薄さにしますか?」と確認してくれ、スライサーで丁寧にスライスしてくれる。
スライスされた食パンは、奥さんの慣れた手付きにより、袋に入れられる。そして、ここからが、決して目を離してはならない場面となる。
奥さんは、パンの入った袋の口の両端を引いて一直線に平らにし、その一直線を静かに下へ沈め、パンに沿わせるようにしながら、ゆっくりと空気を抜く。そうしてから、丁寧に丁寧に袋の端を畳んでいくのだが、その所作にはまったく無駄がなく、見惚れるくらいに美しい。
畳まれた袋は、寸分の狂いもなく、綺麗に綺麗に、折り畳まれていく。
最後に口をテープで留め、手渡される時には、あたかも一つの完成されたアート作品のような存在感を、そこに見出すことができる。
このパンは、とても愛されながら生まれてきたパンだな、と私は思う。
整った技を見せていただいた私は、その度に癒される。
夫も時々このお店に寄ってくれるのだが、私と同じことを感じていた。
「あの手元を見るためだけにでも、パン屋さんにいく価値があるよね。」と。
このところ、大人の所作に疲れていた私は、占いの通り、「整った技」を求め、子どもたちの希望もあって、長男が今年3月に「火山灰からガラスをつくるワークショップ」でお世話になったガラス作家の方の工房を訪れることにした。
このワークショップでお世話になったガラス作家の方のお話に私は大変共感する部分があり、その物事を捉える視線に「整った技」を感じていた。
とんぼ玉と吹きガラスの体験をさせていただこうと予約をし、昨日、幼稚園が終わった後に、工房を訪れた。
工房には所狭しと作品が並べられており、購入することもできる。どれも、「世界にひとつしかない」作品たちだ。
まずは、とんぼ玉作りからしましょう、ということで、子どもたちが自分でとんぼ玉にするガラスの色を選ばせていただく。
子どもたちが悩んでいても、急かすことなどまったくなく、待っていてくださる。特に口数の多い方ではないので、静かな時間が流れる。あぁ、こういう時間っていいな・・・と思う。
私たちは、やはり、普段忙しすぎる日常を送っているんだな、と感じる。
長男、二男だけの予定だったが、予想通り?末娘が「自分もやってみたい!」うんうん、そういうと思ったよ・・・。すると、「できますよ。」と快諾いただいて、末娘もとんぼ玉を作る。
ガスバーナーの使い方、温度の上げ方、ガラスの特性、急な加熱でガラス片が飛ぶことがあるが、ガラスは前方に飛ぶ性質があるから、自分や他人の身体に向けないように、と教えていただく。何が危険かを説明してもらいながら、とんぼ玉を作っていく。
ガラスは加熱されると丸くなっていく性質を利用し、くるくると回しながら玉を作る。
長男はアドバイスされるとそれを理解し、自分でほぼ作り上げ、二男は緊張しつつ、「楽しい・・・」とつぶやきながら作る。末娘は、「お母さんといっしょにやる~」とほぼ母が担当。ま、そんなものだし、それでいいと思う。
とんぼ玉は、「勾玉」の形がいい、と子どもたち。同じ勾玉でも、それぞれの色と形。どれも美しい。子どもたちの「スッとした感じにしたい」「シャキーン!っていうのがいい!」「ビシッとした感じ~!」に「あ、うんうん、そんな感じね、」と作家の方は受け入れてくださり、イメージに近づけてくださる。
こうした〈イメージの共有〉の経験とは、生きていく中で何度でもできたら、豊かな時間が増えることだと感じる。
とんぼ玉を冷ます間に、長男と二男は吹きガラス体験をさせていただく。
長男はガラスの小鉢を、二男はグラスを作りたいと希望していた。
工房に入ると窯の温度でサウナのような、むわっとした空気で満たされている。暑いけれど、私には、心地よく感じる。
まず、作家の方が、制作の過程を見本で見せてくれる。
まさに、「整った技」である。
私はこれが、見たかったのだ。
整った技を持ち合わせている方がやると、どんなに難しい作業もいとも簡単にしている様にみえる。
あぁ、所作のすべてが美しい。
何処にも無駄な動きがない。
この時間は、贅沢で至福だ。
子どもたちも、簡単そうに見えるのに、自分でやってみたら、あれ?難しい!ということを身体全部で、感覚全部で感じていたと思う。
その感覚は、子どもたちの中に確実にしまわれていく。
そしてその感覚は、「もっとやってみたい」「もっと上手くなりたい」などに繋がったりもするのだと思う。
末娘は、「これは、もう少し大きくなってからやろうかな。」と蒸し暑い工房の温度に耐えられず、ちょっと見ては庭に出て涼みながら、兄たちを待っていた。
約3時間のガラス制作体験。
日常を離れて、「整った技」に触れ、回復した天秤座の私。
再び、幼稚園で過ごす今日。末娘とお友達が「クレープ屋さんをやる」と始めたのだが、二男が折り紙で「こんな感じ?」とクレープを作ってくれた。
これが、美味しそうで、驚いた。
彼は、クレープを食べたことがない。
折り紙で表現されたクリームのうねりが、私のツボに入った。
ここでも、〈面白く〉〈美味しそうなもの〉に触れ、回復した天秤座だった。
日常の中にも、私を元気にしてくれること、もの、ひとが、在ってくれる。
それは、有り難いことだ。
ありがたい、うん、ありがたいね。
日常の中の宝を、輝きを、受け取れることは、とても恵まれていることなのだ。
「今日も、楽しかったねぇ。」と、それぞれにつぶやく3人の子どもたちと、「今日も佳い一日だったねぇ。」とつぶやく夫。
彼らの「楽しかった」を、受け取らせてもらいながら、私は、私を回復していく。
今回、お世話になったガラス工房「studio π glass factory」のHPはこちら。氷柱を型にした「つららシリーズ」とても美しいです。