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漫画みたいな毎日。「年を重ねることは、老化ではなく進化?フカンガンを手に入れた私。」
アラフィフを迎え、ほぼ元気ではあるけれど、それなりに、「あ、歳をとってきてるのね。」と静かに感じる瞬間があります。
それを、「老化」と呼ぶのだとは思うのですが、それに、ちょっぴり違和感を覚えているのです。
「老化って言葉は、なんだか、ガックリくる」と夫。
生き物は、人は、基本的に変化していく生き物。変化が止んだときは、命を終えるときであるわけです。
そう考えると、老化も、変化。
まぁ、老いていくんですよね。
どんな命も終わりに向かって。
でも、自分が、その半ばを迎え、正確には、108歳まで生きる予定なので半ば手前なのですが、そんな細かいことは、ほぼ問題ではなく、年齢を重ねて行くことも、変化の連続であることは間違いないと思います。
体力も落ちていく、記憶力も落ちていく、視力も低下。
今まで感じなかった身体症状に悩む方もいらっしゃる。
こう書いていると、なんだか良いことないじゃないか!と思えてきますが、私自身は、年齢を重ねて老いて行くことに、今の所は、あまり不安を感じていません。差し迫った自分事として捉えきれていないからかもしれませんが・・・。でも、心配にならないのは、「それに対して、なにかしら、工夫する知恵があるんじゃない?」と思うからかもしれません。
体力が落ちたら、それに伴って自分でそこそこキープできるやり方を模索して、試してみることができる。
記憶力も、自分で工夫して、メモ魔になるでも、脳トレでも、今は沢山の選択肢がある。
私が後期高齢者と言われうる年齢になるころには、もっと何か開発されていて、楽しみながら自分のいい頃合いをキープできる方法もあるかもしれない。
年齢を重ねながら、どう変化と向き合えるのか。
自分の考え方次第では、「老化って進化なのでは?!」と思えてきます。
楽観的すぎるでしょうか。
若いことは、それだけで、本当に素晴らしいと思うのです。そして、若いだけで、大変なこともある。年齢を重ねることは、身体の変化を感じ、辛くなることもあるけれど、それをカバーする知恵と経験がある。若いときには感じられなかった、面白さもある。
どちらか選ぶ必要もなく、どちらもそれぞれ素晴らしいのではなかろうかと。
若い人の素晴らしさを、手放しで喜び、サポートできる老人になりたい、と常々思っているのですが、きっと、私が若い人たちに沢山の刺激をもらいながら、変化し続けることになるのかもしれないとも思っています。
夫に、「老化は進化だとしたら、老眼ってどう捉えたらいいのかね?」と尋ねたところ、
「う~ん、そうだね、老眼は、引きで見る。全体を俯瞰することができる、って言えるんじゃない?」
お~!なんだかいいね。
若いときは、物事の真っ只中を味わう。
年齢を重ねたら、近くは見えにくいけど、ちょっと離れて物事をクリアに見ることができる。これを〈老眼〉と呼ぶのではないとしたら、なんだろう?
俯瞰眼?!
なんだか、私が好きな某・忍者漫画の特別な眼みたいでかっこいいかもしれない。「俯瞰眼~!!!!」とか言って、眼がちょっとステキな模様になるっていう。近すぎると見えないっていう弱点はありますが。
どういう技だろう・・・俯瞰眼。
「フカンガン」、ちょっと言いづらいけど、「私、ついに、俯瞰眼を手に入れたの!」と、友人に自慢してみよう。
こんな風に考えていると、老化という名の進化は、なかなか面白いものに思えてくるのでした。
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