#自分が今の時代の子どもだったなら「旅するように、泳ぐように。」
いつもやさしい言葉であたたかな風を吹かせてくれるリコさん。
リコさんの記事を訪れたら、このような企画が。
昭和生まれの私は、子供時代の半分は昭和。半分は平成で育った。
もし、令和という今の時代に子どもとして過ごしていたら、どんなことがしたかっただろう?と考えてみた。
旅がしたい。
今は、国内でも子どもサポートなるものが存在し、子どもだけでも安心して飛行機に乗ることも可能だ。6歳未満は12歳以上の同伴者が必要だが、6.7歳であれば〈ジュニアサポートサービス〉なるものが存在している。(航空会社によっては、12歳未満での単独搭乗ができない場合もある。)
ということは、小学1・2年生がひとりで飛行機に乗れるということである。このようなサービスは昭和の時代には多分なかったのではないだろうか。(知らないだけであったのかな・・・。)
そして、キッズスマホなるものがあるので、親も子どもの一人旅を安心して見守れたりもするのかもしれない。(我が家の子どもは持っていないけど。)
飛行機で見知らぬ土地に行ってみたい。
もちろん、電車でも自転車でもバスでもいい。
遠い親戚でも、引っ越した友だちの家でもいい。
いつもの暮らしから離れて、ちょっと違う空気に触れてみたい。
日本の中でも行ったことのない場所の方が多い。
子どもの時に、身体で「日本も世界地図では小さく見えるけど、広いし、色々な土地の文化(主に食べ物や方言などが気になる。)があるんだぁ。」と感じてみたい。
何より、その土地のご飯が食べたい!
大人になった今、旅をしようと思えばできるのだけれど、きっと子どもの時に経験するそれとは、意味が違っている気がするから。
図書館に入り浸ってみたい。
私の育った地域には、図書館がなかった。バスで20分程の所に大きくはないが図書室があったが、一人で行くにはちょっと距離があるように感じられ頻繁には通うことができなかった。
6歳離れた姉の部屋には本があったと記憶しているが、多くはなかったし、 両親に読書の習慣がなく、家に本棚らしきものはなかった。絵本を読んでもらった記憶が僅かにしかない。
学校の図書室で本を借りたり、読んだりすることはあったが、〈本を読もう週間〉だとか、自発的な読書ではなかった気がする。
今は大きな図書館が近隣にあったり、電子書籍もたくさんある。新しい本はもちろん、名作と言われる多くの本も無料で読むことが出来る。
〈本が身近にある環境だったらよかった〉
というのが、私の思いなのだと思う。もっと小さい頃から、本という存在が身近にあったらな・・・今、もう少しまともな文章が書けたのでは?もっと自分の世界が広がったのでは?なんて思っているからだろう。
しかし、結局は、自分が〈本が好き〉というものが根底になければ、どんな環境でも読まないのかもしれないが・・・
でも、本が身近にある環境で、色々な本を読んでみたい。
大きな図書館で、開館から閉館まで、静かに言葉の世界に身を置いてみたい。
時間が過ぎるのを忘れ、本の世界に埋もれ、言葉の宇宙を泳いでみたい。
自分の洋服をとことん、選びたい。
子どもの頃から自分の着るものは、ある程度は、自分で選んでいたし、中学生も後半になると、お小遣いをもって原宿の竹下通りに意気込んで洋服を買いに行ったりもした。就職してからの独身時代は、お給料の大半は洋服に費やしていたかもしれない。
自分の持っている服や靴、鞄などを管理するワードローブブックをちまちまと手書きで作っていた。
今の時代であれば、PCやスマホ、様々なアプリを使って自分のワードローブを管理することができたり、コーディネートも提案してもらえたかもしれない。きっと見やすく出来るんだろうなぁ。無駄なお買い物が減るかも?と頭を過るが、きっと、新しいお洋服を見つけたら心ときめくのだろう。
今の子どもたちの洋服の種類の豊富さには圧倒されるものがある。
私の時代には、まだまだ女子は赤やピンク、男子は青や水色といった色使いも多かったし、女の子にはスカート、みたいな概念が強かったと思う。スカートを履いていたにも関わらず「僕」と呼ばれた私は、その日から頑なにスカートを履かない子どもになった。小学校の間はずっとパンツスタイルで通した。
今の時代であれば、ジェンダーレスに格好いい洋服も、可愛い洋服もたくさんある。自分の〈好き〉をとことん求めて、好きな洋服を身に纏うことをしてみたい。どんな服を選ぼうとワクワクしながら雑誌やネットを眺めていたのだろうなぁ。
今は、ネットでリメイクの方法も簡単に検索できるし、丁寧に動画で見ることもできるから、リメイクも楽しい!と思ったかもしれない。
自分で学びを選択する。
私が子どもの頃には、フリースクールも、ホームスクーリングという言葉も存在していなかったと思う。
学校に行くのがあたりまえで、あたりまえすぎて、それ以外の選択肢を考えもしなかったし、思いつくこともなかった。
今は、まだまだ多いとは言えないとしても、昭和の時代よりは学びの選択肢がぐんと増えていると思う。〈自分の学び〉に向き合って、学校でも、それ以外の選択でも、色々な学びの場を訪れてみたい。
〈自発的な学び〉〈自分が楽しいからやるんだ〉という形で学んでみたかったな、などとは、子どもたちの姿を見ながら思う。そしたら、自分の中で〈学ぶこと〉の位置づけはどんなものになったのだろう?もっと学びを楽しめたかなぁ、学びを好きだと思えたかもしれないと想像すると、なんとなく残念な気持ちと未来の子どもたちへの希望とが同時に湧き上がってくる。
今の時代に子どもだったら、様々な世界を旅するように、泳ぐように、味わってみたい。知らない土地であったり、本の世界であったり、何かを纏うことであったり、様々なコミュニティであったり。
昭和の時代に子どもだったひとも、
平成の時代に子どもだったひとも、
令和を子どもとして過ごしているひとたちも、
その時代の良し悪しを味わいながら、
自分のしあわせを感じる場所へとたどり着けたらいいなと思う。
子どもと言われる時代はとうに過ぎてしまったけれど、
旅するように、泳ぐように、生きていきたい。
令和という時を、大人として。
リコさん、素敵な企画をありがとうございます🍀
令和の子どもでなくても出来ることなのかもしれないことばかりかもしれません。書いているうちに、自分が子ども時代に戻ったらやりたいことになってしまいました😅書いているうちに「あぁ、そういえば、これは子ども時代にはなかったなぁ~」なんて思い出し、どんどんやってみたいことも出てきて、楽しかったです!書く機会を作っていただき、ありがとうございました❤