漫画みたいな毎日「足りないことが、私を増やしてくれる。」
レモンの皮をたくさん使うので、無農薬レモンが手に入った時にだけ作ることができる。それが、木綿豆腐とレモンの皮と果汁を使ったチーズケーキ風のケーキだ。
あくまでも、チーズケーキ風であり、チーズケーキとはまた違う美味しさがあると思う。
年末から、クリスマス、おせち作り、そして、新年を迎え、あっという間に1月も半ばとなり、やっとこのケーキを作れそうなタイミングがやってきた。
去年末に、お友達からいただいたレモンの出番だ。レモンが傷まないかと、はらはらしていたけれど、なんとか新鮮さが失われないうちに使うことができそうだ、と、やっと重い腰を上げたが、いつものレシピで使うオートミールを切らしていた。
うむむ。どうしよう。
こんなときは、新たなチャレンジの機会だと思う。
どんな物が、豆腐とレモンのフィリングに合うだろうか、と、他のレシピ本を開きつつ、自分の中の記憶と経験の引き出しを開けては中を探し、また戻し、あちらの引き出しも、こちらも引き出しも開けてみる。
しばらくそんなことをしつつ、ひとつは、スポンジ生地を台に、もうひとつは、日本酒に漬けたレーズンを台にしようてみようと決めた。
土台になるスポンジ生地を型に入れて薄く焼き、冷めたらフィリングを、流し込んで再び焼く。
焼き上がったケーキは冷やしていただくと、味が馴染んで美味しい。
子どもたちは「レモンいい匂いだね!」「いつ食べられる?」「もう冷めた?」と、キッチンに代るがわるやってくる。
よく動物のドキュメンタリーなどで、餌を探す野生動物が匂いを辿りウロウロしている感じに似ている。子どもたちの美味しいものセンサーはとても優れている。美味しい匂いに吸い寄せられてキッチンにやってくるのだ。
「食べてみる?」と一緒にする味見が、たまらなく美味しいのだと口々に言う。味見とは、何故、あんなにも魅力的なのだろうか。一口食べて「美味しい!」と笑うこどもたちの顔が見たくて、私は、子どもたちと味見をする。
味見をすることは、出来上がりをさらなる楽しみへと変化させると思う。
家族皆が、待ちに待ったケーキは、夕飯のデザートとして出番を迎えた。
オートミールクッキー生地よりも、スポンジ生地はフィリングと一体感がある。末娘は、特に気に入ったようだ。
日本酒レーズンを敷き詰めた物は、ちょっと大人味。焼いているので、アルコールは程よくとんでいて、深みがある味わいに感じられる。
子どもたちは、何度も「おかわり!」とケーキを味わい、満足そうだった。スイーツは、やはり、人を幸せな気持ちにすると思う。
材料が足りないとわかっていて始めた、今回のケーキ作り。
〈いつもあるはずの何か〉が足りなくても、足りないことを嘆くのではなく、そこからどうしていくのか、それを考えていく事は、とても面白いことだった。ケーキの出来上がり、味わい、食感も、自分が想像していた物とはやや違ってもいた。それがまた面白く感じられた。次は、どうしようかな?と楽しみは膨らむ。
こうして、〈足りない〉ことが、私の引き出しの中身を増やしてくれる。足りないってなんとも、面白いものだ。