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新年


新しい年を迎える狂騒を夢の中で過ごし


陽も上らぬ暗がりの元日に起き


気怠い気持ちで出勤の準備をする


まだ始発もない時刻に靴を履いて


街頭の灯る道を足早に歩いて地元の神社で手早く初詣を済まし


マックによって温かなコーヒーをすする


そんな日常になって久しく
新年を祝う習慣は年々薄れていっている


かろうじて初詣に行く行為が
新年を感じる唯一といってもいい習慣である


だいたいその習慣だって
クリスチャンとして育てられた自分が
大人になってから後天的に身につけたものであり


そもそもテレビを見ないから年末年始感をもてないし


昼夜も曜日も祝祭日も関係なく働く仕事についているし


いや


なんていうか


年末年始なんて関係なく
生死を彷徨う人々や苦痛に耐える人々を目の当たりにしていて


そうした現実と年末年始の浮かれ具合が解離しすぎていて


脳がついていけていないのだと思う


単純に切り替えが上手くないのだ


正月だろうがなんだろうが
病魔は容赦なく襲いかかるし
人はあっという間に生死の境を彷徨うようになる


そこから生還する人もあれば
生への境界線へ戻れずに召されてしまう人もいる


生還できても疾患や外傷、長期の療養のために不自由や障害を強いられる人もいる


気が滅入ることもしばしばで
心を無にすることもしばしばで


そんな何かを失う人々を見ることがほとんどの中で


年に数例だけれども


命の誕生に関われることがある


命がけで出産に臨む母親たちが


身を削って産み出した新しい命


大量出血や痙攣(けいれん)や


交通事故や血管奇形による脳出血などにより


生命の危機に面した母体の救命に携わる


その空間から離れた場所で


自力では生きられないほど未熟な赤ちゃんたちが
専用の集中治療室で生きるために闘っている


本来なら3kg程度で産まれてくる赤ちゃんが
kgに満たないgで産まれてきて


人工呼吸器につながれ
管をたくさんいれられて


必死で生きようとしている


いま
この時にも


たくさんの母親や赤ちゃんが
生きようと必死で闘っている


神というものがあるならば


どうか
それら母子が
笑って手を繋いで歩ける日々を
授けてほしい


なんの障害もなく生きて病院を出て
笑った家族に迎えられてほしい


こんなnoteに
曖昧にしか書けないのがもどかしいけれども


自分にできることなんて祈るくらいのものだ


新年に産み出された新しい命が元気に生きられるよう


ここまで読んでくれた優しいあなたに
どうか祈ってほしい


数秒のその願いが
闘う母子の力になるかもしれない


遅くなったけども


誕生
おめでとう




だて。



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