お金が無きゃ無いなりに
新紙幣が手元に来た。
印刷技術や新しいデザインも新鮮だなあと思ってまじまじと眺め回しているけれど
お金というよりも単なる「金券」として目に映ります。
新しい紙のお札は目が慣れてないから、紙幣と貨幣の価値がイマイチ結びつかない。
「この紙幣が、5,000円の買い物が可能な金券かあ」
と、物資である紙幣と紙幣の持つ価値は、人間社会の合意の上に成り立っていることを、目が慣れていないからこそかえって再認識しやすいです。
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ずっと以前、会社勤めをしていた頃があって、その時経理の仕事をしてました。
その時は上司の指示で銀行に電話かけて、「会社の口座からいくらを送金します。」
ということなどをしていて、わずかな時間のうちに、こちらの口座からあちらの口座に電話一本で大きな単位のお金が移動することにビックリした記憶があります。
会社のお金を、自分の言葉のミスで送金先や金額をミスしたら一大事だと、毎回ビクビク緊張して電話してました。
今は仕事をして、対価を頂いて必要な物やサービスを買うことや、大切な人にプレゼントを送ったり、友だちと美味しい食事をしに行ったり、私のためにピアノを習ったり、色んな用途でお金を使っています。
小規模ですが、生活の中で自分の手の届く範囲内で、お金を使っている今のお金の使い方の方が安心感があります。
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お金、お札という「物」に対しても、香典やご祝儀にお金を包むマナーがあるように、銀行や機械に支払う時はクタクタになったお札、対人で買い物の時はできるだけ綺麗なお札を渡す。月謝や会費のときはピン札を使うことを私は会社の先輩や上司から教わって今でもそうしています。
「お金は良い悪い、きれい汚いがあるんじゃない」という話でなくて、お札そのものは金券。でもそれを大切に扱う気持ちは、自分と相手方への感謝の気持ちを乗せて渡すこと。相手の人に対する敬意や気持ちを表しているんだと理解してます。
その時の心の持ちようが、お金を消費する「お金のために生活するスタイル」から、
自分のために自分が選んで使っている「お金に使われない生活スタイル」に変換してくれるのかな。
昔、「お金の使い方に一徳がある人」という言葉を聞いて「なるほど」と思いました。お金が無きゃ無いなりに生活することは恥じゃ無いとおばあちゃんたちが言ってたなあ。
お金ありきの人生を生きるより、お金を上手に使える人生の方が知恵があっていいよねってことだと思います。
まあ、お金を持たない者の強がりってこともあるかもだけど(笑)
紙幣が切り替わるタイミングだから、お金をニュートラルに考えるきっかけになりました。