独学大全と、せんせいのお人形と、知に関するコスパについて
読書猿 さんの #独学大全 を少し前にやっとこさ入手した。
昔から、色々な本を興味本位で(そりゃそうだ)、衝動的に、直感で手に入れては読んでみたり積んでみたりしてきたのだが、最近特に、何を読んでいても、“コレジャナイ“感というか、虚無感というか…に見舞われることがおおかった。
なんていうか、昔はもう少し頻繁にあったはずの、読後の先にそれをさらに深めたいとか、一歩進めたいとかいう、説明できないような、あの、グワー!っと湧き上がる熱が一切湧かないのである。
気になる本を買おうとする手も止まりがちになった。
むむーう…と思っていた日々に、一縷の希望。
それが独学大全さんである。
今、独学しているものは特に無いのに。直感だ。
はたして。
この独学大全を、自分の心惹かれるままに項目を掻い摘んで読んでいく傍ら、ふと、「専門を決めることができない」と自覚して大学院に行くことを辞め、“ひとまず“と就職した頃のことを思い出した。22歳の時だった。
そして、思い出した。
私は、ただ、人のやることなすことについて、知りたいと思ったことを、知りたいと思っただけ、知りたいだけだ。へー、とか、ほほーーとか、驚いたり考えたりして、この世界や人々に、ニヤリとしたりワクワクしたりして生きていきたいだけなんだ。あぁ、そうだった〜
そしたらば。
また別のとき。
Twitterのタイムラインで、「せんせいのお人形」という漫画について投稿が回って来て、読書猿さんも評価されているという触れ込みだったので読んでみたらば、その主人公が、まさにそのセリフを吐くではないか。
(あ、いや、私よりだいぶ前向きでポテンシャル高そうなトーンであり意味であり、だったけど)
そして、また独学大全。
「…費やす努力に<見合う>物が手に入らなくても、他にもっと楽で得な選択肢があったとしても、もうそれを学ぶことをやめられないバカだとも言える。才能の限界が見えようと、スランプに陥ろうと、若輩者がどんどん自分を抜いていこうと…(略)…コスパの勘定ができないからバカだし…」
※太字は筆者によるものです
ここでハッとした。
大学院という選択肢をやめて就職した後、結局学業に戻ることはなく、今までそれなりにキャリアを積んで早20年弱経ったわけだが、なるほど、知らぬうちに私はコスパ(あるいは短期的利益)を気にしながら本を読むようになっていたのじゃないか。
私の内なる悪魔の声はこれだ
「これを読んで、へー!と思ったからといって、それで何だというのだ。昇進につながるのか?」
「これを知って、ほほう!と分かったからといって、そこから研究でも始めるつもり?始めないよね。ふわっとサラッとその世界の学術的にはめちゃめちゃ基礎情報の一部に触れて面白い!って思って、そこで終わるだけの知に何の意味が?」
これだ。私を立ち止まらせていたやつは。
「ちょっと知って、それで満足して終わるだけでしょ」批判
あ〜何だよ。私ったら。
興味本位で、へー面白ーい!この人すごいなー…!で終わって何が悪いんだ。
私の人生の何かの為になるとか、ならないとか。
っていうか、その声のお前、誰だよ!笑)
いやはや、全くつまらんことで、人生を面白くなくするところだったわい。
独学大全ありがとう。
コスパを超えてかなきゃ意味ないよね。
特に私のような、ゴールなどなき、娯楽雑食者には。
そうだそうだ。心置きなく、自分が知りたそうな本を読んで、ほほーと思うところに心置きなくほほー!と感嘆していこうじゃないか。うん。