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この仕事「教師」を選んだわけ。
この仕事を選んだわけ。
明確に思い出せない。というか、本心は言いたくないのかもしれません。
母親の仕事
私の母親は小学校の先生でした。私が物心ついたときには特別支援学級の担任をしていました。夏休みには母に付いて、障害のある子どもたちと一緒にキャンプに行ったり、イベントに参加したりして友達もできました。
近くで母の仕事を見て育った私にとって、その影響は大きかったのでしょう。
父の仕事
父は自営業をしていました。ペンションの経営です。ペンションですから自宅も兼ねていました。生まれた時からペンションに住んでいて、いろいろなお客さんとの関りや、おもてなしの様子を見てきました。料理は基本的には父が作っていましたので、私が料理好きなのは父譲りなのかもしれません。
私は自分の家がペンションだということにとても愛着?誇りがありました。しかし、不況のあおりを受けて、経営難が訪れます。私が小学生の5年生の頃でしょうか。父はペンションを休業し、50代で再就職をしました。
社会経験はあまりなかったと思いますが、調理師免許があったり、接客業ですから、人間関係の部分もクリアしていました。
私の親族
私の祖父は中学校の校長先生で職を終えた人でした。祖父の弟も高校の先生です。教員の流れがありました。
恩師との出会い
私は勉強はできる方ではありませんでしたが、学校は好きでした。落ち着いた少人数の学校でしたので、先生たちも居心地がよかったのでしょう。声を荒げるようなことはなく、あたたかな雰囲気の毎日でした。
その中でも”この人はすごい”と子どもながらに思う先生と出会いました。部活動でも全国大会に導いてもらいましたし、今でいうメンターでした。
この先生との出会いが私が教師をめざした最後の一押しだったと思います。
高校~大学入試
高校は地元の普通科に通いました。部活と恋愛には夢中になっていましたが、将来についてはあまり考えていませんでした。
いざ大学入試となるとどこを受けようかと悩みます。部活動ではそこそこの成績だったので、大学でも続けようか…(誘いはなかったですが)とも思っていました。
そんな宙ぶらりんな状態でしたから、安定へ流れたわけです。
公務員になれば安泰=田舎では最強かもしれません。
賢くはなく、体育会系だったので体育の先生をめざすことにしました。
そこには明確な理由はなく、教員になった後に理由は後付けしたのです。
親の仕事を近くで見てきたから。恩師の先生との出会いで。
そんなことで選んだ仕事です。
実際にニーズはあります。体育と特別支援はなかなか相性がいい組み合わせだと思います。地元国立は落ちたので、大阪の私立大学に行かせてもらいましたが、サポートが良く、倍率高めの田舎でも新卒合格させてもらいました。(なぜか大阪は落ちました。)
受かったときはうれしかったし、親孝行できたなと思いました。
ここまでは、自分の人生をふりかえっても悪くはありません。むしろ順風満帆です。親の金で大学に入り、好きなことをして、卒業し、就職も決まった。しかも田舎最強の公務員。
しかし、そこに自分の明確な意志はなかったのです。
その反動が今きています。
自分の本当にやりたいことは何なのか。
自問自答の日々が続きます。
言い訳をしてもしかたないのです。
すべては心が決めてきた。
自分で決めた道なのです。
辞める時も自分で決めます。
後悔をしているとすれば、父の働き方にもっと関心を寄せるべきでした。自分の好きな場所を守っていた父の仕事に。
身近に二つの働き方があったのに、ちゃんと理解できていなかった自分の未熟さでしょう。