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大人のADHDについて 私が大人のADHDを診療するようになったわけ①

「大人の発達障害をみている診療所はここしかないと言われた」と、初診の時に話す患者さんがいる。私は地方都市で開業しているが、それでも街の中心部と言われるところで仕事をしており、とんでもなく田舎ではないという認識をしている。まわりに病院、診療所はいくつもある。それでも、「大人の発達障害」をみているところは少ないようである。

「大人の発達障害」と言われるものには大きく分けて、ADHD(注意欠如多動症)とASD(自閉スペクトラム症)がある。私はADHD診療にはだいぶ自信がついたが、ASDはまだ勉強中だ。なので主にADHDについてこれから少しずつ書いていきたい。

まず私が、なぜ大人のADHDをみるようになったのか、そのことを振り返りながら、今どうして大人のADHDをみてくれる診療所が少ないのか、そのことを考察していきたい。

大学を卒業し、医師になった私は、精神科医になろうと思い、精神科の医局に入った。当時は児童・思春期を専門とする医師が何人かいらっしゃって、夕方に発達障害のお子さんたちを集めてグループでの治療をしていた。発達障害の勉強会もあった。

そこで感じたのは、発達障害を診る「難しさ」だった。子どもはまず、自分の気持ちをうまく表現できない。本人に聞いても、困りごとを話せないし、そもそも病院に嫌々来ている子も多い。大人であれば、自ら困りごとを抱え、何が苦痛なのか話してくださる方が多いが、子どもはそうもいかない。仕方がないから親から話を聞くようになる。親は困りごとをたくさん抱えているので、いろいろな話をしてくれるが、どう聞いても「子どもの悪口」にしか聞こえないような話も多い。そうすると、それを子どもと同席で聞いていいのか、親だけから聞いた方がいいのか、どうしたらいいのか新人の私にはさっぱり分からくなってしまった。

先輩医師に聞くと、それは「ケースバイケース」だと言う。状況を見て、親からだけ聞くこともあるし、同席して聞くこともあると。その辺りは雰囲気を見て決めるので、まさに「医者のカン」と言うやつなのだろう。

はなっからの理系人間で数学大好きの私からすると、そんな曖昧なことを仕事にすることがとても自信が持てなくなった。子どもの心のケアがしたくて精神科医になりたいと思っていたので、しょっぱなから挫けてしまった感じだ。なのでまず、一般的な大人の精神医学から身につけていこうと決心し、子どもの発達障害を積極的にみないようになった。

続く。

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