はっきり不幸せだと思えるのは健康だ
四角いペンケースを立てたみたいに、せまいエレベーターに乗る夢を見た。
一緒にのってる誰かから「後ろを向いて欲しい」と頼まれて受け入れる。狭苦しい。「幸せか?」と問われたら自信を持って「不幸せだ」と言える。
不幸せに感じるけど本当に不幸せなのか分からないことも多い現世において、はっきり「不幸せだ」と思えることは健康なことだ。
起きたらエレベーターには乗っていなかった。〜(波線のような声)。安心した。やれやれ、夢の世界は何が起こるか分からないんだぜ。現実世界にはある程度の安定感というものがあるな。
今朝は7:16起きだった。仕事を少ししてから、ゴミ捨てと掃除をしながら『爆笑問題カーボーイ』を聴く。
谷村新司のエピソードで、アリス日本武道館公演の後に新宿のビニ本屋で店番をしていて、ライブ後にたまたまお店に来たファンに「僕たちの感動を返してくれ」と激昂されたという話があって、大きなステージに輝かしく立っていたアーティストが、目立たない場所にある(と思われる)こじんまりとした(と思われる)店内照明もぼんやりした(と思われる)店内の店番にぽつんといる落差を想像した。
世界はこんなところで凝縮されている。
このファン自身が日本武道館の後にビニ本屋に寄っているという「人のこと言えるんかえ」的自己矛盾も含めて愛すべきだし、遠い未来の子どもから「世界ってなに?」と聞かれたら、父さんはこのエピソードを君に進呈するぞ。
外からは「どんなに急がされても 見ず知らずの人に お金は渡さないでください」という、J-POPのサビの後半みたいな行政からのお知らせが聴こえてくる。
外からは続いて子どもの声で「ルーブターン」と繰り返す声が聴こえる。
「クリスチャン・ルブタン?」
「何それ」
「イタリアのブランドだよ」
「そんな、いたいけな子がルブタンなんていう?」
「どうだかねぇ」
「ルーミさーんじゃない?」
「ルミさんなんて、子がそんな気取った言い方しないよ」
「ルブタンのほうが気取ってない!?」
という夕方のやりとりがあった。
時代は令和でもあるし、誕生日の近い現金な子どもだったらありえるのかもしれない。産まれちゃいない小さい人よ、産んでいない父さんは、今日も令和で元気に暮らしている。
妻がMEGUMIに感化されて、毎夜の風呂上がり、顔の面に顔パックを献上している。そして顔パック後の顔パック(これ、なんて名前なのか)を腕に塗っている。肌にふれると結構ベトベトする。「ベトベトするな〜」と言うと妻はひかえるそぶりもするのだが、別の日、ちょっとした喧嘩をしたりすると「ふーん、そ。顔パック腕につけちゃお」と悪女のふるまいをしてくるのだった。顔パックを使った反逆である。この町では何が反逆の道具になるか分からないものだ。
自宅からマックスバリュまでどれぐらいの距離があるのかたまに調べたくなる私です。それでGoogleストリートビューで自宅を見てみたら、なんと自宅の窓からうちの猫が顔を出している。
ストリートビューをちょっと南へ移動させ、そこからうちの建物を映してみる。この次点では窓に誰もいない。
もう一度元の位置へ戻ると、うちの猫が窓から覗いている。このとき、うちの猫はGoogleに気づいたわけだ。
今度は北へ移動させて、そこから建物をみる。猫がいる。前に進んだGoogle(の撮影車両)を遠くから見ている。
うちの猫が、よくわからないけど歴史というものに名を残した気がする。
GoogleMapのマイナスボタンを何度もクリックし、青い世界地図を眺めながら思った。
ものすごく可能性は低いけど、この気持ち、親心だったりしませんか。