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われわれは長い時間と人生をかけたテトリスをやっているのだ

納豆をたくさん買っては、いそいそと冷蔵庫におさめている。朝と夜の二回の食事どきに低いテーブルの上でひとりひとつずつ食べていると、一日あたり4個が冷蔵庫から胃へすすぱぱと移動する。

ある日の冷蔵庫をあけてみれば納豆やら豆腐やらもずくやらがテトリスよろしくぴんこぴんこと積み上がっている。オーケーの水戸納豆なんぞになればひとパック4個入りなので、テトリスでいうところの縦長の棒だ。日々縦につんだり横につんだりせまい冷蔵庫の中で何かを完成させている。

テトリスと違うところは、積むだけでなく食べ終えないと消えてくれないところ。われわれは長い時間と人生をかけたテトリスをやっているのだ。

つまがスマートフォンでジャン・レノとナタリー・ポートマンの昔と今の写真を見せてきて「これ、まんまレノンだよね〜」と言った。レオンが誰かに似ているようで似ていない、それでいてなにものでもない何かになっていた。こういうところに「なにものにもなれなかった何か」は存在していて、それは誰かの幸せなあやまちによって発見される。

LINEでやりとりしているときに使っていたねこのスタンプがもうすぐ終了することに気づいた。半年ぐらいは使っただろうか。つまと私の間にはいつもこのねこがいて、意識してなかったけど、いつもこの3人でコミュニケーションを取っていたのだな、と思う。感謝の念をこめて、これまで使ってきたスタンプを走馬灯のように送りあった。

名も知らぬねことの思い出

最近食べている「丸美屋 しっとりやわらか ソフトふりかけ さけ 28g」がしっとりタイプで大変おいしいのだけど、もうすぐなくなってしまう。なんということだ。残りをこそげ落とすべく中をぱかっと開いてみたらそこには銀色の四次元空間。宇宙って、惑星から見上げたところにある大きな空間じゃなくて、こういうふりかけのふくろの中みたいな、ミクロな空間にひっそりと佇んでるような気もしてくる。箸を持ち直してもう一度のぞいてみた。

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