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ギャンブル沼から抜け出す道

僕はギャンブルが好きだ。その中でも特にゼロサムゲームが好きだ。
ゼロサムゲームとは+1万円勝つ人が居れば-1万円負ける人も居る、つまり勝った人(+1万円)+負けた人(-1万円)の総和がゼロになるゲームだ。
身近なものでいうとじゃんけんもそれにあたる。

これまでパチンコやスロット、FXに手を出した。
パチスロはどちらかと言うとゼロサムではなくマイナスサムゲームであるが、僕はこの手のスリル感万歳なゲームに中毒性を覚えて辞めるのには時間を要した。

勝てば大金が得られ負ければ投資金を失うといったハイリスクハイリターンな賭け事は勝負事が好きな僕にとっては楽しくてしょうがない。
漢気じゃんけんも正にそれだ。

つまり僕は勝って得るお金ではなく、勝つか負けるか危ない橋を渡り幸福と絶望のどちらかに転ぶ未来に対して判決が降る過程に面白みを感じている。故に大金を手にしたとしてもまたやってしまうのだ。

パチスロを始めたきっかけと辞めたきっかけは今でもよく覚えている。
バイト先の先輩に連れられて初めて5円スロット(メダル1枚5円)でビギナーの登竜門でもあるジャグラーを打ったのが全てのきっかけだった。(行くことを決めたのは自分の意思だが)

元々賭け事が好きだった僕にはこの機械がもたらすスリル感ある演出にどっぷりハマってしまったのだ。
ハマると没頭してしまう僕は多くの時間をそれに費やした。調べて実戦して課題を見つけて改善を実施…綺麗にいうとPDCAを回していたわけだ。僕の良いところでもあり悪いところでもある。

辞めたきっかけは創造性のない遊びだと痛感した事だった。
何度も次行ったらやめようと自分に言い聞かせて結局やめられずに1年くらい経ったある時、あれは学生時代の出来事だった。

2,000円をパチンコ台の紙幣投入口に入れて最終的に22万円を得た時があった。普通は逆だと思うが勝ったのに辞める決断をしたのだ。

これは新卒社会人の1ヶ月分の給料と同じくらいの金額であり、当時のバイト代の3ヶ月分くらいの大金だ。
しかも座って画面を眺めて5時間で手に入った。時給換算すれば4.4万円だ。

しかし逆に言うと5時間も何も考えずに台の前に座って球の出る数と派手な演出をひたすら眺めているという全く生産性のない時間だ。
勝てばその瞬間は嬉しい気持ちになるが負けた時の絶望感はお金も時間も失うので精神的にきつい。

今思えばKindleで5冊本を読んでる方がよっぽど有益だ。

加えて、あの当時勝って得た22万円を何に使ったのかまるで覚えていない。働いて得たお金は何に使ったか把握しているけど、パチスロで買ったお金は恐らくまたパチスロに吸われたんだと思う。それくらいに覚えていない。

こんな何も創造性のない遊びに対して時間を使っている19歳の頃の自分は、自分に対して絶望した。勝ったのに辞めようと決断したのはそれが主な要因だ。だからあの時大金を勝たせてくれた牙狼には今でもとても感謝している。

そこから辞めるまでは早かった。
前述した通り、僕は勝負事が好きな性格だ。
ここで「自己コントロールが出来ない自分」を勝負相手に選んだ。

どういうことかと言うと、自分をコントロールする事も出来ないような自分に対して敵対心を持った。小泉構文みたいで申し訳ない。
つまり簡単に言えば自分との闘いを行ったのだ。

僕は自分の感情をコントロールする事なんて誰にでもできる事だし、簡単な事だと思っている。
ただ、自分は今ギャンブルをしたいという欲に駆られ、本当はやめたいのにやってしまうという自己コントロールが出来ていない状態だった。

誰にでも出来るような簡単な事が出来ていない自分に強い劣等感を覚えた。

こんな自分に負けるわけがない。

無駄に高いプライド心が役立った瞬間だった。狭い世界の中で10代を過ごし、あらゆる局面で常に敵を作り敵に勝ってきた僕にとってこんな自分に負けるわけがないと本気で思っていた。
そしてやめることが出来たのだ。正確にいうとやめることが出来ている。
今も賭け事が好きなこと自体に変わりはないが期待値で見ても負けるように設定されているパチスロというマイナスサムなゲームをハマり直す訳がない。

そういう思いでずっと自分と闘っている。
流石にもう辞めてから7年くらい経っているので興味すらなくなっているが、考え方を変えればやめる事は出来る。やめようと思ってやめるよりもずっと簡単だ。

敵は自分であり遊技場も遊戯メーカーも誘った先輩も誰も悪くない。
むしろ中毒的な物を自力でやめるという経験則を作らせてくれた事に感謝している。

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