社交性の蛇口。脳がドバドバ。
ASDの私には、社交性の蛇口がある。
健常者の人にもこの蛇口はあるのかどうか、私には分からない。
素のままの自分は普段この蛇口を閉め切っており、一滴も垂れてこない。
そして急に誰かから話しかけられたとなると、その瞬間に慌ててひねるので、力を入れすぎてドドドーッと出過ぎたり、逆に固すぎて全然出なかったりもする。
基本的に私は意識してこの蛇口に潤滑油を差すようにしている。
どういうことかというと、急に話しかけられた時に慌てないように、人間が近くにいたら「この人は話しかけて来るかもしれない」と警戒する。
そのため視界に人間が入っていると物凄くプレッシャーを感じる。
また、何かのコミュニティに参画している時は、「もし雑談の中で好きな漫画を聞かれた場合、相手が詳しそうならこの作品、詳しくなさそうならこの作品を伝えよう」とか一問一答の練習を脳内でしていたりする。
もちろん、漫画以外のジャンルでも用意する。
端的に言えば自意識過剰で痛い奴である。
先日私はハローワークに行ってきた。
時間の計画性が無いため、職員の方の多くがお昼休憩に出ている正午ぴったりにわざわざ行ってしまって、担当者が不在だった。
1時間で帰ってくるというので本を読みながら待つことにしたが、室内は暖房が効きすぎていて眠たくなって、そのままウトウト…
ハッと目が覚めたら、担当者の方が横に立っていた。いつの間にか昼休憩の時間は終わっていた。「お待たせしたみたいでごめんなさい」と担当職員さんが頭を下げる。
私はまだ寝起きで、社交性の蛇口が開かない。
しどろもどろで、「すみません…」とか「ありがとうございます…」とか最低限の返答しか出来ない。
窓口に移動して、障害者雇用関係の手続きをしてもらう。
「本日はその書類をお持ちですかね?」「あー…家に置いてきました…」「そうですか、では次回に…」「あ、やっぱり持ってました。」「え?あ、は、はい。」
ギクシャクした会話が続く中、全然蛇口が捻れないまま、今日やるべき手続きも終わってしまい、諦めかけたその時。
「今日は、寒いですね〜。」
職員さんが突然そんなことを言い始めた。もう私、ほぼ席から立って帰ろうとしてるのに。
私はまた蛇口をひねる。そして、
「今日、私はむしろ、あったかいです!!」
と妙に張り切った声量で返事をしてしまった。
「寒暖差がありますよね〜。」
職員さんは笑顔で返答してくれて、そのまま別れた。
こういう風に急にひねってしまった蛇口は、その後も行き場のない社交性がドバドバ流れ続ける。
そして、頭の中が言葉でいっぱいになるのだ。
「なんであの人は別れ際になって急に気温の話をしたんだ!?」
「その格好寒くないですか?って聞きたかったのかな?」
「それなら、むしろあったかいです!じゃなくて、この部屋は暖かいですよって答えたほうが気が利いてて良かったんじゃないの!?」
「いや、そもそも、聞き間違えだったのでは?あんな暖かい室内で、寒いですねなんて気が狂ってる!」
頭の中の私達がギャアギャア騒ぎ始めてしまった。
このまま家に帰ったら、ドバドバの社交性を家族にぶつけて鬱陶しがられてしまうだろう。
そんないつもの光景が目に見えていたので、美術館に行ってガラガラの展示を観て、心を静めた。
そのあと喫茶店でわざわざクソ寒いテラス席を選んで、風邪を引きながら頭を冷やした。
こういうのは「自意識過剰な痛い奴あるある」って奴かもしれないが、神経の興奮に感情や思考を振り回されて疲れ果ててしまうことに私は結構深刻に困っている。
それはベッドで枕に顔を埋めて足をバタバタさせるような、誰にでもある可愛らしい悩みのように思われるかもしれない。
最近までは自分でもそう思っていた。
ただ、私の神経の昂りにいちいち付き合わないといけない周囲の人間の迷惑や、一時的な躁っぽい状態になることで疲弊して日常生活がままならなくなる私は、紛れもなく自閉症スペクトラム"障害"なのだろう。
最近やっと、家族が私の言葉による大暴れに疲弊していることに気が付いた。
よく考えてみなくても、新しく友達になった人は私のマシンガントークに愛想を尽かして去ってしまう。
ぶっ続け11時間、電話口で話し続けたこともある。
可愛らしい悩みのようで、やはりちょっと異常なのだ。