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「真面目が一番」の時代はいつ終わったんだろう


「あなたが人生で経験した一番の修羅場はなんですか」


この言葉は、私が実際に就活生だったときに面接官に投げかけられた質問そのままである。


エンタメや広告系の就活において、こういった突飛な質問はかなり多かった。まあわたしは、結局全然違う職についたわけであるが、友人の1人、今年就活生であるCちゃんから寄せられた悩みは「真面目に生きていて何が悪い」というものだった。


ーー修羅場なんて、今までなかったよ。



そう泣きながら話すCちゃんは、1年間海外留学に行っていたため、私含む大学の友人グループから一年遅れて就職活動を行っている最中だ。そして彼女もまた、年度も会社も異なるが、まぐれにもこの質問を投げかけられた1人である。明るく、誰に対してもフレンドリーで、ああこの人は家族からの愛情を目一杯注がれて生きていたんだなとすぐわかるような、真っ直ぐで優しいCちゃん。



海外留学のお金は全て親持ちで、中高はエスカレーター式の、私立の進学校。環境に恵まれていることは明らかであるが、彼女自身も努力を怠らず、みんなが寝ているような授業でもきっちりノートをとって、周りに嫌な顔せず写させてあげているような子だった。育ちのいい、温かなお嬢さんの周囲には、いつも人が絶えなかった。


そんなCちゃんが広告業界を目指していると知って、正直意外だった。てっきり得意な英語を生かした旅行業界か、外資までは行かなくても海外への事業展開を主にしているような企業への就職を望んでいるのかと思っていた。


8月も半ばに差し掛かろうとしている中、Cちゃんの内定はゼロ。一次試験のエントリーシートですら通らない。


人に添削してもらって、でも添削って自分の人生丸ごと否定されてる感じ。修羅場って何。今まで真面目に生きてきたよ。真面目に生きてきて何が悪い。


仲の良い友人が苦しむ姿と、言いたいことが伝わりすぎて、胸が軋んだ。


わたしは自分で自分のことを【変わっていると言われる】と称する人があまり好きではない。



そう、【自分は変わっている】を引き合いに平穏を馬鹿にしているかのようなニュアンスが苦手なのだ。


自分よく変わってるって言われるんですよ、とか言われてしまうと、もはや話し手を「中学の時窓ガラス割った」武勇伝を話すおじさんにしか見ることができない。


許されない恋をしている女の子が、平穏に結ばれているカップルに対して「自分たちは障壁があってもこんなに愛し合っているのに、あの人たちはなんの障壁もなくその辺にある愛の受け渡しで満足し合っている」と言い出すときに似ている。


よくも悪くも個性が守られる、そして重要視される世の中になったからこそ「変」は褒めのニュアンスを含みつつあるんだと思う。


「尖っている」が褒め言葉だとしたら、こんなの世の中を生き抜いてきてるんだもん、みんなみんなどこかしら尖ってるよ。貴方も私も尖ってる。じゃなきゃ今頃ここにはいないよ。



真面目って一部の人からは馬鹿にされがちだけど、私はすごい美徳だと思う。何かを続けること、平穏を保つことって一番難しい。刺激に流されるのは【何かを成し遂げている】気分になれるから、実はとっても楽なのよね。


文字を書いていてよく思うのは、何か個性がある人しかエッセイが書けないわけじゃない。もちろんキャラクターとか得意分野は必ずしもあるとしても、日常の継続がドラマなわけで。修羅場がなくたって良いじゃない。物語がないのでは決してないのだから。


マンションの灯りを見ていると、ああこの分だけ人が暮らしていて、人生があるのだなと時々思う。大好きな彼氏と同棲してるお姉さんとか、子供が生まれたお父さんとか、死にたい大学生とか。本当は明日にでも玉の輿に乗って仕事辞めたいOLとかね(笑)




真面目上等。明日も働くかあ。




たまのおやすみでほろ酔いのsuuでした。




2020.8.5

suu




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