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sunakazu
2018年10月10日 14:56
前回はこちら↓↓❝我々は我々の歴史的身体の行為的直観において物を道具として有つ、その極限において世界が道具となる、世界が自己の身体の延長となる。❞西田幾多郎「論理と生命」妻のお墓が建ってから早5年が経った。七回忌も終え、長男の孫も小学生になった。そして、「私は一人でも生きていける!」と鼻っ柱の強いことを言っていたしっかり娘にも、ついに良い伴侶が現れ、今年は彼女の結婚式が控えている。
2018年10月21日 21:25
前回はこちら↓↓❝私の部屋にあるものは蒐集品ではない。その連想が私独自のもので結ばれている記念品の貼りまぜである。時間と埃をも含めて。そのごっちゃなものがどんな次元で結合し、交錯しているかは私だけが知っている。❞ <瀧口修造 夢の漂流物>大きくなった内孫、外孫があつまった妻の13回忌。普段は静かで広々としている墓ありじいさんの家も、この日ばかりはにぎやかな一日となった。「妻も喜ん