sunakazu
中学生から高校生にかけて聴いていたBOOWY。仕事でぶち当たるあらゆる場面で、なぜか彼らの歌が頭に流れる…。 BOOWYの歌は、もしかしたらあのとき若かった私たちが大人になったときに読むべき仕事論だったのかもしれない。
面白かった映画やドラマの感想をおもむろに綴っています。
「私たちは時間を旅する旅人」をテーマにし、ありとあらゆるモノ、ヒト、場所にひそむ積み重ねた時間から、「今」を生きるヒントを探るマガジン。
お墓から見えてくる社会・時代・人を読み解いていく! ある年齢になってくると気になってくるのが「お墓」のこと。 お墓を持っている人とそうでない人は何が違うのか。 40代女性メモリアルアドバイザーが、お墓の仕事を通じて考えてきたことを物語形式で記した「墓ありじいさん 墓なしじいさん」。 「墓ありじいさん 墓なしじいさん」が「おはかの手帖」になりました! https://hakuwako.thebase.in/
以前にも「TEENAGE EMOTION」については書いていたが、最近まさにこの歌の世界観に近いことが起こったので、あらたなテーマで書いてみたいと思う。 ある部活の強豪校で寮生活をしている高校生の息子とのLINEでの対話がきっかけだった。 部内では当然ながら、同じポジション争いがある。ようやくレギュラーに落ち着けたかなと思っていたところ、もしかしたらレギュラー落ちするかもしれないと連絡がきた。 ミスで試合から外されるようになり、その後の彼の態度も問題になったことが要因のよ
仕事面で超えられない壁にぶつかり、限界を感じたときに、ふとこの歌のフレーズが浮かんだ。 「LIKE A CHILD」は、BOØWYの4枚目のアルバム「JUST A HERO」に収録されているが、この曲は彼らの他の楽曲とはひと味違うスタイルが漂っている。ここで使われているシンセベースのメロディーのせいだろうか。そのシンセベースを担当している松井さんは、今回は作詞も手がけており、それもあってか当時からこの曲には少し特別感を抱いていた。 自由とは何か さて、仕事をしていくうえ
家入一真さんのnoteがすごく心に染みた。 経験値も環境もまったく違うのに、ここに書かれている一言一句が、今かみしめていることそのものだ。 半年くらい前までは「(自分が認め得る)何者かにならなければいけない」と自分自身を鼓舞していた。 思えばそれまでずっとそうしてきていた気がする。 だけど人生には転機が訪れるもので、「何者かになることをあきらめるとき」がやってきた。自分のためだけには生きられないから。 世間に埋もれてしまう自分と向き合わないといけないときがきた。 思
まずは、こちらのnoteを読んでもらいたい。 内容は、国内の玩具市場が過去最高になっている理由とおもちゃ市場の分析である。 この分析内容の明晰さに触発されたのと、自身が身を置く業界にも通ずる部分があったので、そこらあたりをまとめてみたい。 ―――――――――――― 本文中では将来が不安な業界として、「出版業界」「アパレル業界」「音楽業界」など、わりとビッグな業種が挙げられているが、わたしがたずさわる業界はもっと小規模で、だけどかなり昔から存在する「石材業界」だ。 墓
SNSでなんらかの発信をしていて、ふと出会ってしまう違和感。 それが多少知っている人の発信だったりすると、なおさらその違和感を拭いさることができなくて、しまいには勝手に嫌いになっていることもある。 これは、その人の想いや考えや気づきが言語化され、変換された言葉への違和感であることが大きい。 たとえば、「自分自身を大事にしよう」と発信していたら、「けっ、ナルシシズムかよ」と感じるが、それが「自分を喜ばせたい」という表現であれば、そう考えるにいたった奥行きが感じられて好感を
中学生時代、部活動の仲間はそのまま親友でもあった。 いまの中学の部活動は時間が短縮される傾向にあるが、25年前当時はそういった規制もなく、練習はハードだったが、放課後の時間がくるのが楽しみでしょうがなかった。 仲間に恵まれたことが大きかったと思う。 その仲間のひとり、Y子に一度こう言われたことがある。 「(あなたの)笑顔が好き。幸せな気分になる」と。 それまで、自分の笑顔を客観視したことがなかったわたしは、鏡を見て、自分の笑顔のどこが魅力的なのかを探ろうとしてみた。
君がまだ幼い、ちょうど6歳になろうとしていた頃。 どうしてもやりたい、どうしても行きたい、どうしても入りたいと言ってきかず、母が泣きながら「まだ早い。あと数年してからでも十分に間に合う」と制止し訴えても、泣いて「やりたい!」と引き下がらなかった。 そのとき、「この年で、(わたしの意思も伝わらず)そこまで意思表示をするのなら、覚悟を決めよう」と腹をくくり、息子はバレーボールをはじめた。 あれから6年が経ち、その間に全国大会という結果を皆で出すこともできた。 そして、彼にと
平日の夜は、皆どのように過ごしているのだろうか。 わたしの場合、週3、4回は息子のスポーツ少年団の送迎があるので、夕方から晩御飯の用意をバタバタはじめて、急いで送り、そのまま体育館にいることもあれば、一旦帰宅して、再度迎えに行く。 そこで繰り広げられるおとな同士の会話は、基本的に子ども(わが子ふくめ)ネタが中心になる。 帰宅後、だいたい22時くらいから、ようやく一息つき、子どもが寝る22時30分以降が、自分が思う「おとなタイム(くつろげる)」だ。その時間までが、「母親」と
とくに感情移入したのが、シーズン3の #優柔不断。 末期がんのため、娘の腕のなかで逝きたいとエミリーに自殺幇助を懇願する母。 安楽死を選択した母の最期の願いを受け入れたいが、それは自身の手で最愛の母の死を手伝うという、エミリーにとってはもっとも耐えがたい選択でもあつた。 日本でも最近耳にするようになった「安楽死」という重いテーマをとおして、エミリーの葛藤が浮かび上がる。自分自身にとってはまだまだ想像を超える世界での話だと思っていたが、連続ドラマで登場人物に感情移入して観る
洗濯機が途中で止まっていた。 たぶん、洗濯機を回した者が、また容量以上に洗濯物を詰めこみ過ぎたのだろう。 「これじゃ、全自動洗濯機の意味ないし」 と、絡まっている洗濯物をほどき、再スタートを押してつぶやいた。 もしかすると、自動化をさまたげるのは人間なんじゃないかと考える。 全自動洗濯機も、人間が詰めこむ量を間違えると、その機能が果たせない。 適量を守る。なぜ、人間はこれができないのか。 いい加減だからか。 そのときの気分に左右されるせいか。 たぶん、欲があるから
「やらなければいけない」のに、ずっとほったらかしになっていたことが、このGWでできた。 それは、記憶にある限りでも10年以上(じっさいはもっともっと使っていたはず)使っていたガスコンロを新しくすること。 これまでのコンロは、点火するときにツマミを回して点けるタイプで、10年以上前から、なぜか左側のコンロは点火まで時間がかかるようになっていた。 その時点で新しく使いやすいものに買い替えれば良かったのだが、人は物にたいして、どうしてこうも合理的判断を下すことができないのだろ
「楽し」にいたるまでに知覚した「空し」からの「悲し」漢文学から影響を受けた「梅花の歌三十二首の序」からの引用となる「令和」だが、その影響は他の語にもある。 「楽し たのし」(娯し)だ。 しかし、「楽し」にいたるまでには、旅人のこころの在り様の変化なしには語れないというのだ。そのこころの変遷とは、どういったものだったのだろうか-。 ♢ 大伴旅人の歌がはじめて世にでたのは、神亀元年(724)三月。即位したばかりの聖武天皇の吉野離宮の行幸に加わった際につくった「吉野賛歌」だ
はじめて聴講した高岡市万葉歴史館の館長講座『「日めくり万葉集」を読む』。 4月12日のその日のお題は『万葉集と新元号「令和」』。けっして古文が得意だったわけでもないが、いわゆるミーハー心がうづき、81回目となるこの講座ではどのように解説されるのかが気になって参加した。 「梅花の歌三十二首」の序にみられる漢文学の影響「令和」のもととなった「初春令月 気淑風和」は、万葉集におさめられている「梅花の歌三十二首」の序文にある。それは朝廷の出先機関「大宰府」の長官である大伴旅人が開い
数年前、「ブログの書き方」として、こんな文句をよく見かけた。 「ブログを書くときは構想してから書くべし。何を書くかを決め、先にラフスケッチならぬ、ラフブログを書き、それを数分で清書するようにしよう。そうすれば、業務に影響を与えず、効率的にブログを継続できる」 当時、ダメなブログの書き方をそのままやっていたことに気づき、なるべく構想をしてから書くように意識した。 今はある程度、書く前に構想し、結論を先に出してから書くが、それでもテーマによっては、どこまでも深堀りできてしま
自己主張できることはカッコイイ。だけど、わたしが目の当たりにする主張のほとんどは、自己主張という名の自己防衛だ。 自分のプライドや不満のために何かを主張するのがエラいと思う風潮があるが、そんなものはクソっくらえだ。 自分のことを思って言うことは、基本的には愚痴の部類に入ると思う。 誰かを守るために言わなければいけないことこそ、主張じゃないか。 自分のための主張は単なるワガママなんだということを、世の母親でも父親でもいいが、ちゃんと教えておかないといけない。 じゃないと