カジュアルEDHはきっと漫才みたいなものである。MTGの話
マジック:ザ・ギャザリングにはカジュアルEDHとかカジュアル統率者と呼ばれる遊び方がある。4人で遊ぶ多人数戦をみんなでワイワイしながらパーティーゲームのように遊びたいという考え方だ。
いくらパーティーゲームのように遊ぶとは言え、みんな自分が勝つためにデッキを組んだり、カードをプレイするわけで、そこは他のフォーマットと変わりない。しかしそこに問題が現れる。勝利を突き詰めたデッキとパーティー要素の強いユニークなカードを詰め込んだデッキとでは、パワーが違いすぎてゲームにならないと問題だ。
もちろん、カジュアルEDHを遊ぼうと言う場で、勝利至上主義のデッキを持ち込めばマナー違反なのは誰しもわかる反面、カジュアルデッキの定義と何なのかと言われると定義づけは難しい。そこでスナガガなりのカジュアルについての1つの考え方を提示してみたいと思う。
スナガガが考えるに、カジュアルEDHとは漫才みたいなものである。漫才というの観客が共有している常識から外れた言動をすることで驚かせ、常識外れの言動を常識戻すための適切な表現のツッコミを入れることで、笑いが起こる。さらにこれらを繰り返すことで漫才師と観客の間に新しい共通の認識「常識」生まれることで、より伝わりづらいボケがウケるようになっていくという訳だ。
カジュアルEDHもこれに似ている。勝利への最短(今で言えばデモコンタッサなど)ルートという常識があり、そのルートから外れつつも勝利を目指した行動を取ることで相手に驚きを与える。そして対戦相手は、打ち消しや除去などを放ってツッコミ入れる。そうすることによって場には、プレイヤーたちにしか共有されない新しい常識が生まれていき、より小さな行動までもが驚きに変わる戦場ができていくのだ。
そうなるとどんな勝ち方を目指すのが、カジュアルなんだ?という疑問にぶつかる。しかしこれに答えはない。実は環境デッキクラスに強いのに、いまだ気づかれていない勝ち方を見つけたのなら、それはその場のみんなを驚かせ楽しませるだろう。反対にゲームそっちのけで豪華なイラストだけのカードを使ったデッキを作れば、視覚的にみんな楽しませることができるかもしれない。mouここはエンターテイナーとして考えていく事がもっとも重要なのだろう。
ここまで長々と意味のわからないことを述べてきましたが、結局何が言いたいかと言うとカジュアルEDHでもっとも大切なことはデッキレベルやカードパワーでもなんでもなく、参加者全員を楽しませようと思うエンターテイナーとしての心、ホスピタリティなのではないかと思うスナガガでした。