見出し画像

毒親育ちの実家脱出日記①

スナバです。

以前の記事では、両親にされてきたことを箇条書きにしました。
 


この両親がいる環境にいることが限界になり、
2022年1月に、実家から脱出しました。

両親とは、実家を出るときにトラブルがあって、
そこから連絡をとっていません。


今回は、そのときのことを振り返ります。


両親の異常さに気づくまで

■両親からの愛

両親は、私を愛してくれていました。

しつけが少し厳しかったり、すぐに不機嫌になったりはするけれど、
それでも普段の振る舞いを見ていると、
私のことが大事なのは伝わってきていましたし、本当に大好きでした。

私が辛い思いをすることは多少あったけれど、
子供を苦しめて楽しむような極悪人であったわけではありません。



「しつけが少し厳しい」
「すぐ不機嫌になる」

親だって完璧な人間ではないし、
両親には両親の生きづらさや困りごと、ストレスがあるだろうし……。

うまくできないことがあっても仕方がないことだよなあ。
きっとほかの家もこんな感じだろうし……。
私がもう少しうまく振舞えたらなあ。

そんな風に考えていました。

彼氏に指摘されるまでは。


■自分の家族の異常さに気付く

以前から、家族の話をしたときに
「〇〇の親、ちょっとやばいというか……ひどいと思うけどな。」
と言ってくれていた友人がいました。

(今もすごく優しくしてくれている友人の一人です)

そのときの私は、
「しつけは厳しめかもしれないけど……でも愛されてるし……。」
などと呑気に考えていました。


そして、2021年の秋
休職中の私に対して、いつものように厳しめの言葉をかける母親。

その会話を聞いた彼氏から、
「〇〇のお母さん、流石に〇〇に対して当たり強くない……?」
と何度も言われました。

(正確にはもっと前から言ってくれていたのですが、
 友人のときと同じように呑気に考えてしまっていました。)

このときようやく、
「ん……? これは当たり強いのか……?」
と少しだけ疑問を抱き始めました。


そこから、彼氏の家族の話を聞いたり、
他の友人から家族の話を聞いたり、自分で調べたりする中で、
私の家族は、「機能不全家族」だということに気が付きました。

22年もこの環境で生きてきて、
私は異常で歪な環境にいるのだ、とやっと理解しました。

感情が整理できなくて、辛くて、たくさん泣きました。


実家を脱出する

■転職活動

このまま実家にいたら自分が壊れてしまう。
そう考えて、上京を決意しました。
 
そこからは、必死で転職活動をしました。

希望の職でどうにか内定が欲しい……。
それが無理ならなんでもいい、早く家を出たい……。

心身状態が不安定でつらい状況でしたが、
転職エージェントのキャリアアドバイザーさんに支えてもらい、
なんとか書類を作って面接を受け、内定を勝ち取りました。
 
「やっと実家から出られる。」
と、とても安堵したのを覚えています。


■両親からの猛反対

  • 数か月休職して症状が落ち着いたので、主治医から復職の許可がでたこと

  • 今の職種で働き続けるのは辛いので、資格を活かした別の職種に転職したいこと

  • 希望の職の求人は地元にないため、求人が多い関東に引っ越したいこと

上記のことを両親に伝えました。

すると父から、
「そんな仕事、まともな人間がやることじゃない、お前にはできない。」
酷く怒鳴られて、怖い思いをしました。

母からは、
「家族のこと考えて。自分のことばかり考えて行動しないで。」
と言われました。
 


また、この時期は、
母の仕事の繁忙期や弟の持病の治療などが重なり、忙しい時期でした。

そのため母に、
「お前は自分のことだけ考えてればいいから楽だな。自分のしたいようにして、家族のこと何も考えてくれないよね。」

「大変な状況だから、○○もしんどいだろうし申し訳ないけれど、何とか手伝って欲しいなと思ってお願いしたこともあったのに、『体調が悪いから』『転職活動で忙しいから』って、何も手伝ってくれなかったもんね。」

「ああこいつは自分が優先なんだなと思って……。本当に、親として情けないなと思ったよ……言わないで我慢してたけど限界だわ。」

泣きながら怒鳴られました。


 
私は本当に家族のことを考えられない、酷い娘だ……。
と、自分のことを責めそうになりました。

この時も彼氏や友人に励まされ、
せっかく勝ち取った内定なのだから、どうにか頑張って実家を出よう。
そう決意しました。

■飛行機で関東へ

父親には反対されたままでしたが、
何とか母親だけは説得して、どうにか関東で頑張りたい旨を伝えました。

最終的には母から、
「〇〇のことが大事だから……〇〇のしたいようにしなさい、応援してるから。」と言ってもらえました。


どうにか母親のことは言いくるめられたので、
急いで引越しの準備をして、新居を探しました。

内見してから決めたかったので、
それまで関東にいる親戚の家にお世話になることにしました。


母親にだけ、転職先と入居予定の物件の住所などを伝え、実家を出ました。

父親には、何を言っても怒鳴って聞き入れてもらえなさそうだったのと、
ひどく殴られそうだと恐怖していたので、
何も言わずに家をでて、置き手紙を残しました。

手紙には、
自分一人で決めて行動してしまったことの謝罪、これからのこと、
今まで育ててくれたことへの感謝 などの内容を書きました。

(失踪したと思われて、警察に捜索されたら大変だとおもったので、
 死ぬための家出ではない旨も記載しました。)


以前の職場の先輩達に車で送ってもらい、なんとか空港に到着しました。
優しい言葉をたくさんかけていただいて、泣きそうでした。

そして、飛行機で関東に移動してきました。
 
ありがたいことに、親戚の家には荷物を先に送らせてもらっていました。
少ない荷物で移動できて助かりました。

親戚の家に着いて、今までの話をやんわりと伝えると、
「大変だったねえ……」と共感してもらえて泣いてしまいました。
 


ご飯を食べ、あったかいお風呂に入り、
これからの生活のことを考えながら、ゆっくりと過ごす……はずでした。


しかし翌日、
母親から「〇〇、帰ってきて。」と連絡がきたのです。



読んでくださってありがとうございます。



私の門出を応援する、と言ってくれていたはずの母からの連絡。
ここからさらに私は両親に振り回されることになります。

続きはこちらになります⇩


この記事を読んでくださった優しいあなたに、
幸せなことが訪れますように。



今までの記事を読んでくださった方、スキを押してくださった方、
ありがとうございます。
とても励みになります。

いいなと思ったら応援しよう!