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【大会(後編)】第3回 球磨川リバイバルトレイル・球磨川コース/約167km D +9400m(2024/11/16-17)

後編!


前編(スタート~A3)


ここから長くしんどい、印象深い夜が始まる。 ドロップバッグはこの後にもうないので100km以上の距離に耐えうる荷物が必要となる。最短で24時間の予想。補給食も大量に必要となり、食料は50kmあたり1kg相当(この重量比はvespaやドリンクにするパウダーがずしりとしている影響)

普段はここまでしっかりは持たない。3割は余ると想定しても、軽量化より何があっても自己解決できるだけの量は持つと決めていた。レースであるけど、装備については普段行ってるワンデイの縦走と同じ考えだった。

夜間の1300mを通ることに備え、アウターシェルもウインドシェルより一段階厚手のものを増やした(結果的には不用)
つまりここからは常時1.25kg程度、最大2.5kg程度重くなる。

~W4 宇那川林道(90km)

エイドからロードを少しだけ進むとほぼ地図の通り、かなりの斜度の直登。昼と夜で印象が全く変わるだろう。川辺川コースだと初っ端に出てくる「壁」であり、実際渋滞するようだ。

斜度のきつさもこたえるが、おまけに無風でかなり暑い。夜間の冷え対策としてTシャツをメリノウール50%にしたこともあってか汗が止めどなく出てくる。さすがにきつい。が、いくらなんでもきつすぎる。低心拍で息が切れる。なんだか吐き気もする。力が入らない。不自然なくらいきつい。

ン…これはなんかおかしいぞ…?と違和感を覚えたので、一旦立ち止まって原因を考える。直前の行動は?……あ…知ってるわ。血糖値スパイクだ…

A4まであまり食べず、一気に糖質を流し込んだのがまずかった。急登では休めるところがない。回復はかなり早くて見て30分なので休み続けるのはさすがにまずい。というわけで少しずつ休みつつ最悪の気分で強行する。顔に触れるとひんやりしてる。

急登を超えると、長くゆるやかなロードの登り。きつい状況だけど歩けば進める。この辺りのロードは落石が多く、さすがにピンポイントで落ちてはこないだろうがゴロゴロと大きな岩が転がってガードレールまでひしゃげていた。人の手が入らなくなった道はこうなるのだよな…と考えながら進んでいた。
標高は600mくらいだろうか。けっこう高い位置にいるのに光源が見えない。満月が明るい、静かな場所だ。

這う這うの体で進み続けるとやっと仰烏帽子山登山口へ。入り口に応援の方かな?何名かいて、水をいただけたので助かった。この時点で既に500ml以上使っていた。A3からW4まで20km近くあるので(しかもトレイル中心)、もらえなかったら厳しかった。

この時点で発症から30分以上経っており、調子も随分回復してきた。
逆に言えばかなりの種類と量のエネルギーだったわけなので、それらが今度は助けになる。じわじわと走れるようになってきた。

仰烏帽子山ピークまでは急登を含むものの、普段のナイトハイクに近い雰囲気でわりと楽しく進めた。A3から3時間ほど経って着いたピークは標高1200mを超えるが思ったより寒くなかったのでシェルは着ていない。せっかくなので少しだけ座り、補給食を食べる。何名か前後にいてここでかち合った。

ここからはしばらく山らしい山はない


その後はトレイルのアップダウンを繰り返し、再び長い砂利の林道(1200m近くの山から一気にトレイル→つづら折り林道を降るのでかなり長い)を進むゆっくり走り続けようとするもあまりに長いので歩行中心に切り替える。夜間の影響で進んでいる感じが全くせず、 気分はいまいち乗ってこない。最高点から下を見渡せるためヘッドライトの灯でランナーの位置がわかる。小さなグループが様々な高さで動いており、これは星空のようで中々に乙な風景であった。があんな下まで降りるのか…と絶望もした。

黙々と進み、12時を超えてW4に到着。なんと降り基調なのに3時間もかかっている。ひとまずなくなりかけていた水を補給、安心。椅子で少しだけ休みつつ軽く補給食をつまむ。ここから先はロードの登りと聞いて少し気が滅入る。
付近は沢による飛沫があるためか少し冷えた。夜の半分がすぎたけど、朝はまだ遠くにある。

W4

~A4 屋形多目的集会施設(100km)

ここから先は地味ながら全区間で最も精神的にきつかった。一番印象的だったとも言えるかもしれない。

ロードのワインディングした道を延々と歩いて登る。先に書いた通り街灯は何もなく、点在するヘッドライトとガスで滲んだ満月くらいしか光源がない。道がとにかく単調で目にうれしいものはなく、疲れも出ている時間帯のため色々なことを考えてしまう。少し前に兆候は出ていたがやはりネガなことばかり考えてしまう。エイドまであと少しと書かれた看板があるのに全然着かず苛立ちに拍車をかける。獲得標高はまだ全体の半分くらいか?

A3出発から9時間経ち、ようやくA4についた。
W4から実は2時間程度しか経っていないが、この時間はずっと引き延ばされたかのように終わらない感覚があった。言葉を浮かべるとどのようなものでも沈んでしまうから、頭の中の悪い循環をどうにかやりすごすため無心になろうとしていた。だけどそれは難しい。俺はストア派になれそうにない。

戻れば入口、進めば出口

会場に入ると疲労がどっと出た。ひとまず給食をいただき、たまらず座る。

あたたかい鶏汁が美味い。体をかがめ、息を吐く。左側に目を向けると、スタッフがゼッケンを返す人を記帳している。わかる。すごくわかる。正直に言うと俺もそのつもりでここに来た。ゼッケンを眺める。あと70kmなんて無理だ。ゼッケンを眺める。左を見るとまたひとりゼッケンを返していた。ゼッケンを眺める。薄目で呼吸をすると、ふと1年前の阿蘇ボルケーノトレイルのA4を思いだした。あの時と同じだ。目をじわりと開く。ゼッケンを眺める。本当にそれでいいのか?そう問われた気がした。食料配布の机をみる。小さなカップ麺をいただけるらしい。ひとついただく。3分時間がある。ゼッケンを眺める。深呼吸し時計を見る。カップ麵は2分半で、麺はまだ硬い。苦笑いする。それでいい。一気に流し込み、席を立つ。入り口ではなく、出口へ向かう。



ここからは便宜的ステージ3。
長い夜があけていく。

~A5 公民館川島分校(136km)

先とほぼ同じような構成のロードを登り続ける。エイドを出たタイミングもあり知り合いの方、その連れの方と一緒に進むことになった。
そのためペースも若干変わってくる。雑談したり、単調な道を時々走ったり。それが良かった。さっきまでとは全然違う。

W5(万江阿蘇神社)では温かいうどんがもらえる。このスープがとても美味くておかわりをいただく。

こんな時間にありがとう
これのダシが染み渡るうまさ

早朝のため少し冷えたが山登りを始めるとすぐちょうどよくなった。この区間のトレイルは最も整備されており、入りは斜度もきつくないためランもできる。福岡で言うと天拝山あたりの雰囲気が近い。軽く駆けているうちにようやく朝がきた。光芒が差し込む。とても美しかった。

わかりにくいけど朝日

この区間は一定数の団体で進み「完走前提」のマイペースで設計していた。だが、実はそれでは関門がまずいことが道中に発覚する。

少し込み入るが…

・A5の関門(14:00)自体はゆっくり進んでも間に合う
・A5-A6は3時間の設定とのことだが、実測200-300m程度の山を越え林道を一気に降った後10kmロードを走る必要がある
・よってA5の関門ギリギリだとA6の関門(17:00)が難しい

体力が残ってない終盤では達成難易度が高い。
(一応、ギリギリでも行けた人はいたようだ。すごい)

残り時間を考えるとA5の実質関門は「12:30」だそう。W6についた時点では9時ごろ。3時間でエイドにつき、補給のち半前に出発する状況を作るため、進む。 脚は残っている。

が、問題が発生する。 「脚」はいいが「足」の痛みがひどい。具体的に言うと足裏と甲部分。とくに甲がひどい。
100km地点で兆候はあり、その後テーピングで厚みを持たせ緩和していたが次第に悪化し、120km地点では歩くだけで痛みが出ていた。そんな状態で以降の強い傾斜の黒木土を進むことで靴との摩擦機会が激増し、一層ひどくなる。足裏は我慢できるが甲は反射的に体が強張るタイプの痛みだった。これはまずい。

W6(白岩山)ではテーピングをより強く巻き、靴下も取り変えた。靴下を履いただけでひどく痛む。このとき気づかなかったが、後で見ると皮が火傷状にやぶれていた。A5まで約10km。我慢の時間となる。服も再び朝昼想定のものに着替え、ガッツを入れる。ステージ3の本番だ。
5kmほどで走りたくても走れなくなったのでストックを利用して歩く。歩けるなら進み続けられる。

W6
痛くても歩けば前には進める

A5には予定どおり12時過ぎについた。ここに来るまでの間に対策の結論を練りだした。その方法はシンプルで、「鎮痛剤を飲む」ということ。実はこれまでラン・山行中に試したことがないのですぐに連想できなかった。念のため ファーストエイドに入れていたことを道中思い出し、エイドに到着後ザックから取り出して確認すると8錠分も入っていた(使えるのは1日3錠まで)
本当に良かった。

A5
ゆっくりする時間はない

ささっと食べ物を最低限食べ、食糧を残り1/3用に切り替え、鎮痛剤を飲んでからエイドを12:25くらいに出る。多くの人に心配してもらったけど、大丈夫。 鎮痛剤が効くまでの30分近くをどうするか?痛いよ。でも問題ない。


~A6 田上社会教育センター(153km)

いずれ引く痛みならば、と解釈したことで無理も可能となった。ペースをあげ、降りだけでなく平地も走る。30分経ってもまだ痛いが、だから何だってんだ?と走る。45分くらいで甲の痛みがかなり緩和され、走るのが楽になる。足裏は痛む。だから何だってんだ?
何度目かわからない長い砂利林道を一気に飛ばす。

ロードに出てからはやっと八代のエリアになった。10km、災害跡が残る河川沿いを眺めつつ、時々歩いたり隣の人と話したりしながら進む。150kmを超えると旅の終わりがイメージできてくる。気分が一気に軽くなった。また足が少し痛む。そう、ならば2錠目をレイズだ。ゴールから逆算すると3錠目までは使える切り札。

人は痛みには勝てないが負けてはならないときはある

最後のエイドに到着する。エイドでは最高にうまいやっちろグリーンティーと炭酸割りばんぺいゆジュースの他、シチューやカネムマンソーセージを食べて元気になる。脚は充分すぎるほど残っており、疲労感もない。そして不思議なことに眠気もまったくない(バファリンEXにはカフェインが含まれてるらしく、その影響と思われる)

一通り整えてから気持ちを切り替える。もう歩いてもゴールできるが、それでは帳尻が合わない。1分でも縮める。スイッチが入った。

最低限しっかり補給する
このグリーンティは本当に大好き
これにもカフェイン配合!
いくぞ、未来へ

~ゴール(170km)

いよいよ最後の区間となるのは、好きな大会であるやっちろドラゴントレイルでも通るルートだ。よく知ってる道を進むとさすがに感慨深い。

まだロングレースもほとんど出てなかった2年前、完走なんて無理だよ…と不安だった道だ。未来の今ならずっと、もう大丈夫。もちろん坂も心拍が閾値にならない範囲で極力走っていく。走れないならパワーウォークで進む。八竜山のシダを見ると懐かしさで嬉しい気持ちになった。だからペースもあがる。その燃焼は最後まで維持できると確信した。

八竜山から降った後、実は登ったことがない高岳へ。これが最後の山だ。360m程度の低山だけどパンチがある、と書いてたけど全然余裕じゃない?もう登り切ったよ。次は最後の降りか。
と、思っていたらそこからが高岳の真骨頂であり、ラスボスの風格漂う八代らしいエグい斜度の急登攻めだった。これを最後とは本当に試されるレースだと改めて苦笑いする。息を切らしているうちに暗くなる。ライトを着けた。ペースは意地でも落とさない。

やっとピークに着き、一息ついて進むと八代の街並みが見えた。そもそも展望は乏しめな山深いコースが中心。仮にあったとしてもほぼひと気のない景観だったので、沈む夕日と灯される光に人の営みを見て「帰ってきた」、そう実感した。

写真だとちょい明るいね

高岳からの降りは思ったより少し時間がかかった。最後の少しアップもあるロードは約3km。時計を見ると「活動時間 36:4X
完走は確定してるが、そういうことじゃない。ここまで来たんだ、できないはずがない。きつい坂以外はすべて走る。河川敷に入るとゴールと思わしき地点が小さく見えた。あと6分。加速する。ゴール近くではラン仲間が待ってくれていた。加速だ!最後まで飛ばすバカみたいなことをして、無事「36:59:01」でフィニッシュ!!


きたぞ、未来へ

ハッキリ言って59秒遅くても何にも問題はないし順位が変わるでもないから36時間台であること、そもそもこの期に及んで急ぐ必要は何もない。でも必ずそうすると決めた。だからそれは必ず達成しなくてはならない。意味はなくても価値はある。これはランナーの方ならなんとなく共感してもらえるはずだ(たぶん…)

風情も何もないアホみたいな締めとなったけれど、そのアホさこそが道中の後悔を納得と満足に変えるために必要な最後の一片だった。それは確かだった。たった1mmもないテープを掴み掲げて踏み超えたときこう思った。
いま、ここにいる!」




初めての100マイルレース、色々な人の助けや自分の弱さを直視したとても長くて濃い170km。色々なことがあったし、正直なところ最初は「なんでエントリーしちゃったかな~…」とか思っていた時期もあった。だけど今は本当に過程と結果、今年のレースにおける総決算としても、すべてが良かったと心底感じている。


完走率

球磨川コース 完走143名/出走234名 完走率61.1%
川辺川コース 完走172名/出走195名 完走率88.2%

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