魔法の言葉
つい最近、新しいことを始めた。
慣れるまでは体力的にちょっとしんどいかもなぁ…
なんて思いながらも
自分に発破をかける意味も込めて始めたことだ。
息子は0歳から保育所に通っていた。
今(2024年)よりも一世代前になるが
当時(2008年)は待機児童問題が顕著だった。
【ひとり親世帯、母親就労中、世帯人数はわたしと息子のみ】
という、優先順位がかなり上位の条件を持ちながらも
地域性も影響して
息子は待機児童になった。
が、双子ちゃんが保育料が高いとの理由で
退所したことをきっかけに
0歳で途中入所となった。
第三希望で出していたところだが
そんなの関係なかった。
入れるだけでありがたかった。
いわゆる“赤ちゃん”なので
通い始めはキョトン…としているだけで
泣いたり嫌がったりもなかった。
週6で保育所に通うことが
息子の意識の中では
「普通の日常」となって成長した。
そんな息子も
3,4歳の頃に保育所に行きしぶった時期があった。
今思えば息子からの
「もっと一緒にいたい」
という叫びだったようにも思う。
そんな行きしぶりに対して
正直困ったなぁと思ったし
「休めるもんならわたしだって休みたいわ」
「わたしだって行きたくない」
「でも行かな育てられへんねん」
と、イライラもしていた。
でも、そんなイライラを子どもは見抜く。
子どもって親が思う以上に敏感で賢い。
壁に強くボールを投げれば
返ってくるボールもまた強い。
子育てだって強く当たれば
強く返ってくる。
ある朝
どうしても自転車の子ども乗せに座ってくれなくて
当時、調剤薬局勤務だったわたしは
その場で思いついた。
自分のバッグから
ヨーグルト味のミンティアを取り出し
二粒出した。
『○○○(息子)にいいもんあげるわ。これお薬屋さんにある元気が出る秘密の薬やで。』
『まいちゃん(息子はわたしをこう呼ぶ)はな、この薬飲んで元気出して仕事行ってんねん。』
『一緒に飲もうか!』
作戦はすぐに成功した。
『わ、元気出て来た!おいしい!』
心の中でわたしは
「よっしゃぁ~!」
『○○○、覚えとき。○○○ががんばってるときは、まいちゃんもがんばってるときやからな。一緒にがんばろ。』
それからしばらくは
毎朝ミンティア1つずつ食べて
出発してたっけ。
子育てってこーゆー簡単なことで
実は乗り切れちゃうことって
意外とたくさんあったりすると思う。
そして息子が
「ちょっとしんどいな、でもがんばらなきゃ」
って思ってたとき
親のわたしも
「ちょっとしんどいな、でもがんばらなきゃ」
って踏ん張ってたとき
っていうことが
結構あったんじゃないかなって思う。
その逆もしかりで、親が
「しんどいな、でもがんばろう、がんばらなきゃ」
ってとき
子どもも同じように感じてること
とっても多かったように思うし
今も多いように思う。
しんどいのは親だけでもないし
子どもだけでもない。
運命共同体であって戦友、同志なのだとわたしは思っている。
そんな出来事から
我が家ではそれ以降に
『○○○ががんばってるときは、まいちゃんもがんばってるときやからな。一緒にがんばろ。』
のセリフをたびたび言うようになった、魔法の言葉だ。
そして
息子が5年生の頃
我が家の、そしてわたしの大ピンチな出来事のとき
息子に発してきたその言葉が初めて自分に返ってきたのだ。
『○○○もがんばるから、まいちゃんもがんばって。一緒にがんばろ。』
たまらなく嬉しかったし
たまらなく力が湧いた。
魔法の言葉は
本当に魔法をかけるのだと知った。
今、親元から離れ遠いところで寮生活をする息子には
たくさんの苦労も悩み・不安があるだろう。
目で見ることも
話を聞くことすらも出来ないことが
もどかしくてたまらないのだが
がんばっていることは容易に想像がつく。
だから
冒頭の話に戻るが
「まいちゃんもこっちでがんばってるよ!」
という姿を分かるように伝えることが
息子にとっては
きっと魔法になるはずだと思って
今、自分に自分で発破かけて
冷やし中華始めました~♪
じゃないけれど
自分のお尻たたき始めました~♪
なわけです。