誰かと話せば話すほど その人との違いが浮き彫りになる。 わたしはわたし、あなたはあなた。 どんどん距離が遠くなるように 錯覚することもある。 でもそれは錯覚。 距離なんて 何もしなければ 近くもならなければ 遠くもならない。(と思う。) そもそも わたしはわたしで あなたはあなた。 それは友人、夫婦、恋人、親子、同僚etc… 人間関係全部に言えること。 その距離を埋めるのは"理解"だと思う。 なぜあなたはそう思うの? なぜあなたはそうしたいの? あなたの考えを教えて欲しい。
月刊ヒューマンライツへの寄稿は 7年ぶり3度目となります。 どうなる?「共同親権」をタイトルとして 限られた字数の中で 自分なりに問題提起をしました。 (最初にダダダ〜っと書いたらとんでもない字数になってしまい、削るのに時間を要しました💦) 本日は30代最後の日。 息子が小学生にあがった春は ちょうど30歳でした。 保育園時代の乳幼児期も もちろん大変ではありましたが 小中学校時代のほうが 自分の中では多方面で苦労した感があります。 40代に突入する今は 息子は遠くの寮…
毎年8月は児童扶養手当の現況届の提出時期。 わたしは所得制限にひっかかり 児童扶養手当は全額支給停止世帯(0円)。 それでも、届けの提出は義務であり そのために平日仕事を休み 時間を作らなくてはいけない。 いわば、赤字である。 支給がまったくない世帯にも それを強要することに まるで”監視”だなと思っている。 自治体によっては 全額支給停止世帯には 郵送対応可のところもあるようだが わたしが届け出るところは 今年も対応してくれませんでした。 この現況届の提出の際に おこなわ
先日「資さんうどん」へ行った。 初来店で早く食べたい気持ちをおさえきれず まぁまぁな待ち人数…。 入り口付近のタッチパネルで人数と 席希望(テーブルorカウンターOK)を入力すると 案内番号が記載された紙が出てきた。 しばらく待つと 案内番号が表示されて 今度は案内画面(入り口のタッチパネルとは別もの)の前に行くと 先ほどの案内番号が書かれてある紙に 印字されているQRコードをかざせとな。 なななんと、QRをかざすと 再び別の紙が出てきて そっちの紙には 席番号と精算用バ
子どもが 別居親と「会いたくない」と言う(思う)と なぜ真っ先に、同居親の「刷り込み、洗脳や(別居親の)悪口」を疑うのだろう。 なぜ、別居親の「加害行為」は疑わないのだろう。 子どもが 別居親と「会いたくない」と言う(思う)と なぜ、「それは本当に子どもの気持ちか?」って疑うの? 別居親と「会いたい」と言う(思う)ときは 「それは本当に子どもの気持ちか?」って、絶対に疑わないくせに。 面会交流が「子どもの利益だ」って なぜ言えるのだろう。 過去の研究で有益性を発表した
わたしたちの生きる宣言⑤✨ lastです。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 〈わたしたちは、同じ立場のなかまと出会うなかで、つながり、元気をわかちあっていきます。〉 ○なかまがいることでひとりじゃないと思えて元気になれる、情報も得られる、こどもたちにも楽しい場ができます。 ○わたしたちは必要な情報をえて、自分が大切にしたいことを自分で選択できるようになりたいと思っています。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- わたしは子どもを産んでから 「はじ
ひきつづき わたしたちの生きる宣言の紹介と わたし自身の解釈です。 今回は④✨ -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- <わたしたちは、ひとりだけでものごとを解決するのではなく、必要なときに助けを得て生きていきます> ○ひとりでなんでもがんばらなくてもいい。頼れるところがあったら頼りましょう。 ○助けが必要だからといってかわいそうな人ではありません。さまざまな支援制度を利用することはすべての人の権利です。 ○助けを求めることは人に迷惑をかけることではありません。
<わたしたちは、親としてこどもを大切にすると同時に、自分自身も尊重し大切にしていきます> ○こどもは大切な存在であると同様に親であるわたしたち自身も大切な存在です。 ○親である自分自身の幸せも追求していきます -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 1~5ある宣言のうちの、3です。 心の底から叫びます。 『ほんまそれな!!!』 なぜか知らんが わたしたちは どこかで、間違いなく “幸せになることが悪いこと"のように 刷り込まれてるように思うんです。 そして
<わたしたちは、離婚、未婚・非婚、死別など、いかなるいきさつでひとり親となったとしても、お互いに生き方を尊重します> ○自分のこれまでの人生で、与えられた条件の中でよくやってきたことを十分に認めたいと思います。 ○ひとり親になった経緯にはたいへんなこと、のりこえなければならないことがありました。 ○すべての生きづらさをかかえている人々が生き生きくらせる社会をつくるために、自分の体験をいかして同じ立場のひとり親の応援をしていきます。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・
『わたしはどんな気持ちか?』 『わたしはどうしたいのか?』 怒ってるのか悲しいのか 嬉しいのか楽しいのか 悔しいのか恨めしいのか羨ましいのか…etc. それがわたしの出発地点。 そして、どうしても ココだけは絶対に譲れないっていうことには ハッキリとNO!!!と言う。 ココだけは絶対っていうところがPoint☝️ (ちっちゃなことは気にしない、それワカチコワカチコ🎵) NOと言えない日本人、なんて言うけど NOを言うことは権利主張の出発地点。 理不尽に合わせたり 不条
9月初旬、二日間にわたって ひとり親家庭サポート団体全国協議会に参加した。 その中で わたしたちは『わたしたちの生きる宣言』とともに 個々人が思うことを画用紙に書いて掲げた。 わたし自身は 子どもに忙しかったことや 自分自身の活動に色々と傷ついて疲れて 目を背けてきた部分など いろんなことが重なって 9年ぶりの参加だった。 だからこの 『わたしたちの生きる宣言』を 見るのは今回が初めてで ものすごく衝撃を受けた。 もちろん良い意味で。 1〜5まである宣言を順番に紹介しよ
ひとり親家庭の苦労ってなんだろう? って 考えた時 当事者とそうでない人たちの間で 認識に大きなズレがあると思っている。 でもこれって ひとり親当事者だけの話ではなくて どんなことにも言えると思う。 例えば わたしはシングルマザーで ひとり親家庭の“親“であるけれど ひとり親家庭の“子“の気持ちは 100%理解出来ているわけがないと思っている。 だから 息子の“ほんとうの気持ち“がわかっているとは 思っていない。 親のわたしには言えない葛藤や悩みが 今までにもあっただろうし
----------------------------------- だって 「つまづきながら」って 口でいうほど 楽じゃないはずでしょ ----------------------------------- もう四半世紀くらい前の 宇多田ヒカルさんの歌が 最近頭の中に ぐるぐるまわっている。 恋愛の歌だけど ところどころの言葉そのものに 「わかる」 「そうなんだよ」と ひとり頷く。 うん、つまづきながらって 口でいうほど、楽じゃないんだよ・・・。 出来ることなら つ
先日、友人と仕事帰りに飲んだ。 というよりは 友人は一滴もアルコールを飲めない体質なので 実質的にはひとりで飲んだことになるのかな。 とりあえずほろ酔いになった。 帰路についている途中 寮生活をする息子(高1)から 事務連絡のLINEがきた。 短いラリーの最後に ほろ酔い気分も手伝って 勢いで 「だいすきだよー」 と送ってみた。 どんなLINEにも 基本的には 「うんうん」の返事ばかりの息子が 「○○○(息子の名前)も!」 と即レスできた。 辛いことがたくさんある中
つい最近、新しいことを始めた。 慣れるまでは体力的にちょっとしんどいかもなぁ… なんて思いながらも 自分に発破をかける意味も込めて始めたことだ。 息子は0歳から保育所に通っていた。 今(2024年)よりも一世代前になるが 当時(2008年)は待機児童問題が顕著だった。 【ひとり親世帯、母親就労中、世帯人数はわたしと息子のみ】 という、優先順位がかなり上位の条件を持ちながらも 地域性も影響して 息子は待機児童になった。 が、双子ちゃんが保育料が高いとの理由で 退所したことをき
嘘。 つかれて嬉しい人はいないと思う。 けれど わたしも嘘をつくことがある。 つかずに生きてきた、なんて それこそ大嘘なわけで。 ただ 嘘をつかれることが どうしても許せないときがある。 それは 嘘をつかれたこと自体が 許せないのではなく 相手にとって わたしがその程度の存在だったのだ という事実が許せないのだ。 親しければ親しいほど 信頼していればしているほど 腹が立って仕方がない。 怒りは第二次感情であると アンガーマネジメント研修なんかで 嫌っちゅうほど聞いたが