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婚外子の息子よ
あなたに直接暴力的な言葉をかける人はいないかもしれない。
それでもやはり世間には
あなたの続柄に対する差別的な偏見が存在している。
紛れもなく、存在している。
あなたがもし
そういったことを
見たり聞いたり触れたりしたときは
決して感情的にはならず
冷静にたたかえる人であって欲しいと願っている。
息子よ。
あなたは胸を張って言えば良い。
「わたしが責任をとれるのは、わたしが生まれるまでのことではなく、わたしが生まれてからのことです。」と…
有名な作家の落合恵子さんは
自身が婚外子として生まれ
就職差別にあった際に、そう答えたそうだ。
それを知ったとき、わたしは身体に電気が走った。
息子に伝えたかった。
あなたには、この言葉を放つ権利がある。
あなたが生まれるまでのことは、あなたには何の責任もない。
「何が何でも産む」という強い決意のもと
未婚出産にいたった落合恵子さんのお母様は
「婚外子で差別されても怖くない」と言い
「ただ、差別される側の人と手を結んで活動をしてほしい」と言われていたとのこと。
こんなにも凜として
「怖くない」と言うことが
まだわたしにはできない。
いや、ずっとできないかもしれない。
それでもわたしは
息子を産んだときに思ったことは
「わたしが胸を張ってないと、息子が胸を張れへんやんか。」
ということだった。
何ひとつ後ろ指を指されるようなことをした覚えはない。
だったら、胸を張って生きよう。
この子が自分の出生、命に胸を張れるために。
そう思ったことは事実である。
だったらば、それは「怖くない」ということと
同じなのかもしれない。
こんなにもかっこよく「怖くない」と言い切ることはできなくても。
そしてやっぱり同じように思う。
差別される側の人たちと手を結んで欲しいって。
わたしや息子にとってはソレは「戸籍」なんだろうけれど
ソレが「戸籍」じゃない人たちとも"共に"と願う。
こんな話は
そう遠くない未来に
息子とお酒でも飲みながら
親子でありながらも
1人の”人”と”人”として
話せたら良いななんて思う。