「ラジオネーム」への憧れ

私はよくラジオを聞いている。前は職場でも聞いていたが、今は深夜ラジオをタイムフリーや配信で、散歩中や作業中に聞いている。特に好きなのが芸人のラジオで、オードリーや霜降り明星、ハライチ、バナナマンの番組だ。そして、これらを聞くようになってからは、星野源や佐久間宣行など、芸人以外にも様々なジャンルのラジオを楽しむようになった。オールナイトニッポンは必ずパーソナリティごとに一度は聞いてみて、面白ければ継続するし、合わなければそこでやめている。やはり人間には好みがあるので、すべてが好きというわけではない。

毎日のようにラジオを聞いているが、メールはあまり送っていない。一応は考えるが、もし考えて面白いことが思いつくなら、私の天職は芸人だろう。しかし、そんな才能はない。なかなか思いつかないし、思いついても「どうせ読まれないだろう」と思い、送らないことが多い。よく読まれている人は自然と名前を覚えてしまう。そしてそんな人たちはみんな面白い。なぜ芸人や放送作家にならないのだろうか。不思議なものである。

何事も挑戦し、継続しないと能力は養われないと知っている。しかしラジオメールはスタッフに読まれ、面白くないと思われる。それが耐え難いのだ。他人の目を気にする私にとって、読まれているかもわからないこの記事は書けるが、必ず読まれるメール、そして必ず評価されるメールは耐え難い。そんな意識が消えたとき、ラジオにメールが送れるのだろう。

そんな日が来るのを待っていたら、いつまで経っても送れない。だから、まずは一通、勇気を出して送ってみようと思う。もしかしたら、私のメールが読まれなくても、送ること自体が今までと違う一歩を踏み出すことなのかもしれない。それに、たとえ評価されなくても、ラジオを聞く楽しさは変わらないし、そこに私の人生が少しだけ重なる。それだけでも、十分じゃないか。

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