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"自分らしさ"について考える


私たちは"自分らしさ"や"個性"に価値を置く時代にいる。
自分らしさは何なのかを考える機会は何度もあるだろう。

自己を見出す事が重要視される。
時代の変化と共に、その大切さは重みを増しているようにも感じる。

今回この事について考えるきっかけとなったのは
文化人類学者である磯野真穂さん著の
『ダイエット幻想』を読んだからだ。

痩せたい気持ちと向き合う現代社会を生きる私たちに向け、大切なメッセージが描かれている。

痩せる為のダイエット指南本ではない。

社会、価値観、生き方全てに共通するものを
ダイエットを軸に展開されており
読み終えた後は素直な気持ちで自分と向き合えるような優しい気持ちになれる。

是非、女性だけでなく男性にも読んでほしい1冊。

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さて、本題に入ろう。
ダイエット幻想を軸に、感じた事を自分の経験を通して書いていこうと思う。

『あなたと私は違う』
個性を主張するのならば当たり前の事だけど、
この言葉は同時に不安や不信感を与える。

『あなたと私は同じ』
個性を無視した言葉になる。
私とあなたは別の人物であり、違う思考を持っているが
この言葉は時に安心や信頼性を生み出す。

個性を見出す事は相手を否定することで
同調する事は相手を肯定すること

とても矛盾している。

私たちが自分らしさを探る背景には何があるのだろうか。

それは私たちひとりひとりが無意識のなかで何かに"選ばれる"ためにあるように思う。

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例えば就活生や、婚活に勤しむ女性など
他者との違いを見出し
そこに価値をつけアピールポイントとする事がある。

他者との違いを強調することが重要視されている。
本来であればそれは自分の個性であり魅力であり、強みである。沢山いる人々のなかから、ひとりの人間として自分自身を表すとても大事なものだ。

だが、私たちが苦しむときはたいていの場合、自らが"選ぶ"のではなく、他者から"選ばれる"ためのことが多い。

企業に選ばれるため
意中の男性に選ばれるため

自分以外の誰かや何かのニーズに合わせて、自己を消し、カメレオンのように自分だけの色を変えてゆく。


SNSでのビジネスを例に話を少し深めてみよう。

私は数年前の女性起業ブームがあった時、
あるコミュニティへ一度足を踏み入れた事があった。

その当時、起業コミュニティは盛り上がりを見せており、私が足を踏み入れた場以外にもコミュニティは多く存在していた。
それぞれに属しながら、女性達は理想の人生を掴むため切磋琢磨していた。

そんな私たちは顧客に選ばれる為に
どんな商品を作り、
SNSを駆使し何をするのか
どんな魅せ方が有効なのかを学ぶ。

しかし、多くの女性が求めていたのは
自由で制限の無い、独自の生き方であるのだ。

理想の人生を手に入れる為に金を稼ぐことが目的であって、その手段として顧客に選ばれるための方法を金を出して学び、ロールモデルの人の様になりたいと言う。

"あの人のような人生を手に入れたい"

自分とは違う生活をしていて、欲しいものを全て手に入れているあの人。
自由が、お金が、名声が、美が、全てが揃っていて幸せそうなあの人。

あの人のように全てが揃っていれば、それが幸せ、人生の成功そのものだと信じる。
だからこそ成功者の言うことが真実だと思い込む。

だが、その背景には信じさせられている、思い込まされているという事実が存在している。
他者が見せた幸せを、自分の求める幸せだと刷り込むくらいには自我を保てていない様に感じた。

あなたと私は違う人間なのに、なぜ、あなたと私は同じ人間だから、同じ事をすれば同じ様に成功を手に入れられるって言えるのか未だに消化が出来ない疑問だ。

そこにいた女性達の9割以上は、"自分らしく"という言葉を使っていた。
そしてその次に多いのは、"愛され"や"選ばれ"という言葉。

そこから感化されるものは自分が影響された時と同じように
自己を確立し社会から選ばれたキラキラして輝いた姿や、愛され満たされた姿をイメージさせる。

私たち顧客が商品を買うのは
発信者の姿や情報(言葉)を見て
信憑性を確認した後、
商品を使った結果をイメージする。

そして好都合な未来に期待をするからだ。

私たちはそのロールモデルとなる人物に自分を重ね、独自の生き方と言いながら
同じ様な生活を求めたり
容姿までもその人物に近づこうとする。

情報の落とし穴はそこに存在している。

販売者、発信者が
"自分らしさ"とは何なのかを理解していないまま発信し、情報拡散をしてしまう。

自分らしくいたい一方で
愛される私や選ばれる私という目指すべき姿を誰かと重ねようとする矛盾。

自分以外の何かに重ねた時点で、自分らしさは行方不明だ。

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『あなたと私は違う』

個性とは、他者との比較の中で生まれるもので自分の中だけでは生まれない。
似ている外見、似ている性格、共通するものがあろうとも、自分とまったく同じ人間というのは存在しない。
それは同じ空間の中で生活をしていようが、それぞれがもつ個性は全く違うものだ。

『あなたと私は同じ』

それは孤独や不安を支える優しさなのだ。
私たちは違う人間であろうとも、同じ時代を共に生き、同じ景色を見ている。
ひとりで生きているのではなく、沢山の人と関わり合い、共に支え合って生きていることを表す。

あなたと私は違う人間で違う価値観を持っているが、同じ時代を生きているものとして共感し合い、孤独を埋め合う。


私たちが求める自分らしさというものは、ひとつの幻想のようにも思える。
探しても決して見つかるはずのないものを、時代が作ったトレンドに乗せて無理やり形成させている様に感じる。

私たちは何を元に価値観を定めるのだろうか。
本来の自分の主観を誰かに重ね合わせ、委ねすぎてはいないだろうか。

過去に形成された価値観は何をもたらし今に繋がるのか、私たちはそれを何か大きな点として見出す。
しかし、人生とは点と点が繋がりラインを描いていくものである。
そのライン上で価値観は日々変わっていく。

人の思考は変わる。変化するもののなかで作られる、その時の自分が作り出した"自分らしさ"というのは一時的なものだ。

本来の"自分らしさ"とは、そんな人生のラインで形成してきた生き様の全ての事を言い、決して簡単な言葉では言い表せない、とても複雑なものであると思う。

私たちはよく誰かや何かに選ばれるために自分らしさを見い出そうとするが、大切なのは選ばれるための意思ではない。
誰も歩む事が出来ない自分だけの人生を歩むために、自らが選ぶことが必要なのだ。

不確実な未来は不安が生じる。考えること、悩むことも沢山ある。
逃げてはダメだ、放棄するな、向き合えと言われるかもしれない。
自分の意思に、なんとなく罪悪感を感じる事もあるかもしれない。

だが、どんな選択をしようとその後の未来は自分だけのものだ。そこに、こうでなければならないという決まりは存在しない。

誰もが不確実な未来を持ち、誰ひとりとして他人の人生を歩むことは出来ないからこそ
ほんとうの自分という幻想的なものを見出すことに惑わされないでほしい。

"自分らしさを考える"
その答えがここにあるのだと思う。



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