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「これで出来た」と笑顔の黒澤監督。かくして、白い徳利に2本の扇子を立てて兎の耳に見立てる仕草が完成した。

 撮影当時は8mm映画の製作経験しかない私には、黒澤組の偉大さは半分も見えていなかったと思う。その後フィルム製作のTV映画や低予算映画の助監督を経験し、70mm大型映画を監督した私には残りの半分が見えてきた。
現場に俳優を入れるまでのセッティングが兎に角大がかり。
 映画冒頭の一文字家幕屋のシーンでは、準備段階の幕を張る作業に黒澤監督自らが率先して参加した。『ゴジラ』の監督で演出補佐の本多猪四郎監督や『七人の侍』のカメラマンでCカメラの中井朝一さんや『羅生門』から記録を務める野上照代さんも、幕を張るのを手伝った。セッティングが終わると役者を入れてこのシーン全体の稽古が始まった。
 「作業をやめて皆よく見てて」と黒澤監督。スタッフ全員を集合させてリハーサルを見学させた。6か月のリハーサルを行っているから、全体の流れは出来ているか、と思いきや全くそうではなかった。俳優の台詞は全部入っている。狂阿弥(ピーター)の狂言も決まっている。だが、「兎じゃ」という狂阿弥へのリアクションのタイミングや宴全体の雰囲気づくりを細かく指導して行く黒澤監督。時に狂阿弥の仕草を黒澤監督が演じて見せる。三郎の台詞を口にして、笑い方まで指導する。シーン全体が少しずつ出来上がり、スタッフ全体が笑いに包まれてリラックスしていく。その光景たるや、夢にまで見た黒澤劇場そのものだった。その日は曇りの天候が理由で撮影は行われず、稽古だけで終わった。
 翌日晴天下で本番撮影が始まった。が、その前に黒澤監督が行ったのは狂阿弥の狂言動作の変更だ。前日まで決まっていた動きを、より滑稽なものに変えたのだ。とはいえ、なかなか動きが決まらない。何度やっても腰から扇子を抜く狂阿弥の仕草がしっくりこない。その間黒澤監督は一度も声を荒げることがなかった。常ににこやかに狂阿弥の動きを見つめていた。そこでぼそっと一言アドバイス。「途中で回ってみたら?」その通りにやってみる狂阿弥。「これで出来た」と笑顔の黒澤監督。かくして、白い徳利に2本の扇子を立てて兎の耳に見立てる仕草が完成した。


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