短編小説|妻とあの人と公衆電話
今ではほとんど見かけなくなった緑の公衆電話。
喫茶店に入り、テーブル席につくと隅の方に置いてあるのが見えた。
外観もそうだが、カフェという洋風な雰囲気ではなく、木造で大正時代のようなモダンな店内だ。程よい暗さと、温かみのある照明。
その時代を生きたこともないのに懐かしさを覚えた。
妻と口論になり、外をぶらついて目に入ったのが、このお店だった。
ウェイターは、この喫茶店の雰囲気に合わせたかのような、白いワイシャツに黒い蝶ネクタイ、フォーマルな黒いベストとパンツ、という恰好をしている。
私はコーヒーを注文し、何気なく隅の公衆電話を見つめながら、自分がそれを使っていた頃を思い出した。
相手は――ああ、あの人だった。
当時、営業で外に出ることが多く、仕事の合間をぬって、公衆電話を見つけてはあの人の携帯電話にかけていた。
すでに周りは携帯を持っていたが、私は持っていなかった。
お昼には休憩の最後の十五分にかける。
あの人もそれを分かっていたから、必ずと言っていいほど出てくれた。
ひと時の会話。
声を聞くだけで嬉しくなる。
会話の内容なんてどうでもよかった。
電話を通して、繋がっていると思えることが嬉しかった。
そんなことを考えていると、注文したコーヒーが運ばれてきた。
「どうぞ」
と、柔和な笑みを浮かべながらウェイターがテーブルに置く。お店に流れる空気を乱さないかのように、するりと。
淹れたてのコーヒーの香りが、毛羽立っていた心をなでてくれる。
「あの」
立ち去ろうとしていたウェイターを呼び止めて私は訊いた。
「あの隅にある公衆電話。珍しいですね」
ウェイターは、おそらく訊かれることも多いだろうに、嫌な顔もせず答えてくれた。
「ええ。一時は撤去しようかと思っていたんですが、前の震災の時に使う人が多くて、そのまま置いておくことにしたんですよ。停電の時でも使えますしね」
なるほど。と思った私の顔をみて
「でも、最近はそれ以外でも、たまに使われる方もいますよ」
とつけ加え、会釈するとカウンターに戻っていった。
停電の時か――。あの頃がよみがえる。
突然、辺りが暗くなったかと思うと、電話が切れた。受話器からは、ツーツーツー、という乾いた音が聞こえ、私は慌ててコインを入れ、あの人にかけ直す。
「もしもし」
声の様子から慌てて取ったことがこちらからも伺えた。
「ごめん。停電で一回切れたみたいだ」
「よかった。何かあったのかと思った。こっちは電気ついてるけど、大丈夫?」
ほっとしたような声になったかと思うと、また心配するような声になった。
「大丈夫だよ」
周りは暗いが、受話器から聞こえてくるあの人の声は温かく、私の心に灯がともるようだった。
さっきのウェイターの最後の言葉を思い出し、ふうん、と喉の奥でつぶやく。
私は店の隅にひっそりとある公衆電話に向かって、立ち上がった。
十円玉を投入し番号を押す。
呼び出し音が響くが、出ない。
今では知らない番号からの着信なんて出ないだろう。ましてや公衆電話なんて。
そう思って電話を切ろうとすると、繋がった合図ともいえる、カシャン、という硬貨の落ちる音がした。
「もしもし」
今では私の妻になったあの人の声が、受話器の向こうから聞こえた。
(了)
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読んでくださりありがとうございます!
小説で書いたように
停電時にも公衆電話がつながるのは本当なので、
今回、note公式のお題企画「#もしもの備え」に参加させて頂きました。
(「短編小説|妻とあの人と公衆電話」を再投稿)
「#もしもの備え」として、いざという時のために、公衆電話の設置場所を知っておくといいかもしれません。
公衆電話の設置場所は下記サイトで検索できます。
NTT東日本サイト⇩
NTT西日本 公衆電話設置場所検索サイト⇩
Q.停電時でも公衆電話は使えるの?
自分でも検索してみましたが、普段気にしていなかったので、あそこにあったんだ……。と気づいていませんでした;^^
気にしないと見てないものですよね💦