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ああ野球少年

こちらは昨日からずっと雨。
あちらも雨?中止かな?と思いながらチャンネルを変えるとセンバツ高校野球、やっている。

春のセンバツは、夏とちがって「最後じゃない」からか、まだ寒いからか、熱量が控えめなのが良い。負けたチームの悲壮感も控えめで、見ていても気が楽だ。
(非常に偏った個人的見解です。)

しかし、このクリクリ坊主頭の可愛いことよ。「坊主がイヤだ」「坊主の意味はない」論は何十年も前から言われているけれど、坊主もユニフォームの一部。可愛いじゃないか。素敵じゃないか。純朴に見えるって、武器じゃないか。
(もちろん、髪型自由の学校も良いと思うけれど。)


何かやらかすたびに五厘刈り(2ミリ以下)の青々とした頭で反省させられていた息子たちを思い出す。
少年野球に始まり、中学、高校と息子たちの野球に付き合った。

極めて野球温度の低い私にとって、それはしんどいものだった。
毎週だし。雨なのに一応集合するし。
洗濯もお弁当づくりも、車出しも遠征も、お母さん同士の色々も、指導者の色々も、結構なストレスだった。
高校になったら部活だから毎日だ。毎日毎日、洗濯とお弁当と軽食。そして毎週のように保護者がグラウンドに集まる。練習や試合を見たりお茶出ししたりする。
苦痛だった。最大限サボった。

「親が協力的じゃないと子供は伸びない」
「グラウンドに親が顔を出さないと試合に出られない」

そんな、おかしな雰囲気のもと。

旦那は大学野球までやった野球人間なので、関わることは苦痛ではなかったろう。
けれども野球を本格的にやった人は、みな一様に自分の野球観がある。
やれ「監督の教え方がヘタクソ」だの、
やれ「なんであそこでバントやねん!」だの、
黙って見ていられないのだ。
なんなら「俺が教えたい」のだ。
なんなら「ドラフトの日はいまだに緊張する」のだ。(大丈夫。呼ばれない。)

おじさんになっても甲子園を【聖地】と崇め、がんばり屋さんが大好きな旦那と、
のんびり生きるために生まれてきた私との間で、息子たちは適度にカーブして育った。


いいのだ。
たかが部活なのだ。
たしかに親が協力的で、よい環境を与えることができて、それによって立派な大人に育つかも知れなくても。(それも正解のひとつなのだろう。)

いいのだ。

学校なんて、理不尽な思いをするために行くのだ。
部活なんて挫折するためにやるのだ。
努力しても報われないことがあると知るために。
「やりたいこと」と「できること」の違いを知るために。
理想と現実との折り合いの付け方を考えるために。

そのためにクリクリ坊主なのだ。



がんばれ高校球児たち。
楽しくても楽しくなくても、
高校野球は今だけだから。



…きっとすぐにゴルフをやるようになるよ。
(非常に偏った個人的見解です。)


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