タイトル
自分が、他人にこう思われたい!という願望の強い人だとは随分と前からわかってはいたけれど、最近またそれを実感する機会が増えて、人ってなかなかそうは変われないなとトホホする毎日である。
とはいえここでオホホしてしまうのも「なんの打算もなくシンプルに生きるのはかっこいい」という私の憧れが起因していることなので、結局はこんな自分にトホホしている理由も「他人からなんの打算もなくシンプルに生きてる人」と思われたいからで、そう考えるとスパイラルにハマると言うか、この輪廻は一体どこから切り分けていけば良いのか見当もつかない。とにかくわたしはそういう性分なのである。
最近会社で、一対一で、先輩社員が後輩社員のどんな悩みでも聞きますよ、という制度が始まった。
うちの会社はとてもいい会社なので、上記の活動は決して偽善的なものではなく本気で取り組んでいる制度であるということを前提にきいてほしいのだが、まあそんな制度があって、わたしは最近"くすぶっている"と自覚するところがあったので参加してみることにした。
最近できてきた後輩たち、とはいえ比較的に見ればまだまだ若手の私の立ち位置はシーンごとによって変化し、私はそんなところに悩んでいた。シーンによって自分の立ち位置がかわるのは誰でもそうなんだろうけど、わたしはとにかく「自分の立ち位置」を人より気にするし、わかっておきたいタイプ。学生の頃は自分の想像する範疇でうまくできていた(気がしてるだけかもしれないけど)けれど、社会人ともなるとそうはいかない。仕事で付き合う人の種類考えバックボーンが本当に様々で、人によって細かく振る舞い方を変えなくてはいけなくて、「とにかくできるだけ汎用的な人と人とのうまい接し方を教えてくれ!」といった状況だったのだと思う。(そんなものないと、今書きながら気づいたけれど)
とまあそんなことに悩んでいたので、その制度を利用してみることにした。しばらくして私の専属のメンターがきまって、初めての1on1ミーティングが開催された。そこでわたしは、冒頭に書いた悪い癖が出てしまう。
ただ悩みを相談すればいいのだ。たったそれだけ。だってそれがしたくてこの制度に応募したのだ。
けれど私はそんな当初の目的にすりかわって、あろうことかこんなことを考え出す。
わたしのメンターになってくださった上司は、経歴も人脈も豊富で位も高い。ここの1on1ミーティングでの私の印象が、今後何か仕事につながったりするのではないだろうか?
本当に自意識過剰というか、打算的というか、とにかくこんな自分にホトホト呆れる。
しかもだからといって、器用にその場を利用できる賢い人ならそれはそれでかっこよくていいのだけれど、わたしはそれをストレスとして受け取ってしまうのである。まるでテストされているような。ストレスを減らすために応募したはずの制度なのに、はらに自分で、それをストレスに繋げてしまっているのである。
よく後輩から、しろさんはオープンで裏表なさそうですよね、と言われることや、タメ語を使われることが多いのだが、私はその度に安心する。まだバレていないと。どう考えても何も考えてない人に思われた方が楽に決まっている。
特に解決策もなく、ただ自分に呆れた話になってしまった。こういった自分とどう向き合うべきか。とまで書いて、なんとなく結論に近づいた感じがする。
わたしはもう、何も考えず、素直に自分の気持ちを人に渡してあげる人にはなれない気がする。これはとっても悲しいことだけれど。おかしいな、昔はよく、私のいいところは素直なところって言われてたのにな。。
しかしもう気づいてしまったのであれば割り切るしかない。1on1の場を、テストされに行くようにビビった気持ちで望むのではなくて、この機会は相手に自分の名前を売るチャンスなのだと潔く考えて、そして決してその思想を相手に伝わってしまわないように、そう振る舞うように割り切るしかないのだ。