叫べ! "I am ME" ≠ME『天使は何処へ』感想
こんにちは。口寄せです。
友人と行ってきた ≠ME 4th ANNIVERSARY PREMIUM CONCERTにて発表された≠MEの6thシングル表題『天使は何処へ』の感想noteになります。
チョコレートメランコリーの際にも必要に駆られてnoteを書かせていただいたんですが、やはり良い曲は良い環境のあるグループから出ますね。
まず歌詞(ストーリー)の整理、そのあと個人的に考えたことの備忘録、最後に趣味全開のこじつけを展開しようと思います。
『天使は何処へ』のストーリー
あくまで自分の解釈ではありますが、ストレートなメッセージでありながら比喩が多いのでnoteに纏めることで自分としても解釈が広がりました。
まず読みやすくするために、
天使→天使(規範)
悪魔→悪魔(非規範) ※そんな日本語は無い
とさせてください。
ストーリーとしては
①主人公、天使(規範)から脱却
②第二の天使への誘い(というか煽り)
③第二の天使、天使(規範)から脱却
となります。
順に歌詞と並べて見ていきます。
①主人公、天使(規範)から脱却
初見だと「フィルターって何?」「Preciousって何?」という感じですが、2周するとなんとなく分かります。とりあえず読み飛ばしてください。
とにかく涙は止まり、天使は不要になった、ということです。
うわっ…本当の私強すぎ…?
ここまで読むと早くも天使≒規範で、それを捨てる話であることが分かります。速やかな導入たすかる。処世術的なものを放り投げましたね。
(まぁ万年真顔のオタク君からすると「嘘ついて笑う」ことができる才能があるのすげぇなと思いますが。)
Chu! 可愛くてごめん
人生楽しんでごめん
の構えだ!!!
この それでいい?の 答えは聞いてない 感半端ないですね。ごめんねも最早すまんやでかごめんねごめんね~の域だろ。
マイナーカプだったり妙なこじつけだったりは仕方ないが、これは出て然るべきだろうが。
可愛くてごめんはガールクラッシュだよ!!!
ガールクラッシュとは、「同性である女性から見て憧れの対象となるような属性をもつこと」だそうです。諸説あります。
『天使は何処へ』については、前述の第二の天使視点で"憧れ"の要素が強いので谷崎さんの解釈は結構汎用的だと思います。性別はわからんですが。
さっきまで処世術への疑念を語ってたのに、急に好きなBAGの話しはじめましたね。この流れ好きすぎる。俺もスシトレイン聞きながら颯爽と歩いてやるよ(どうやって買えばいいですか)。
武闘派のキュート社会人だ…。
②第二の天使への誘い(というか煽り)
俺は抜けたけど、お前は?
ということで、まだ天使(規範)をやっているであろう第二の存在が間接的に登場します。
個人的にはこういう啓蒙ではなく発破を掛けるやり口は非常に好きですね。
BAGを買えること、憧れの人と同じBAGを持っていることが本質ではない。「I am ME」の精神がここで潜在的に登場します。だから手は引かず、相手に選択する機会だけ与える。(お前も武闘派にならないか?)
第二の天使は天使(規範)であろうとしていますが、それを望む周りが「その辺で見てるだけ」(特に信念もなく何となくの規範である)なら黒く染めても文句ないよね??という、その他天使への煽りが展開されます。
(この煽りにより第三、第四と離脱が続く可能性があるので、ある意味慈愛の煽り)
ここはかなり余地があると思います。
③第二の天使、天使(規範)から脱却
現実でも創作でも規範に潰される人間は見てきたので、ここの言わんとしていることは分かりますね…。こんなの脱却したほうがいいんですよ。
第二の天使も「空に飛」びます。
剥がされた「フィルター」は何だったか、それを実行した「悪魔達」とは何者か、なんとなく想定できるようになりましたよね。2周目ギミック大好きです。
無事、天使は何処かへ行きました。
(ここまでの一連の流れを踏まえると、主人公もまた憧れの誰かにガールクラッシュされて天使を捨てたことが分かります。曲冒頭。)
今作の結論になります。
〇〇だから私、という要素に分解されないatomとしてのMEを如何にモノにするかですね。
初めてノイミーのライブに行ったときに『自分賛歌』の歌詞、ひいては『≠ME』というグループとしてやりたいことに驚いたのですが今作はそれ以上。
つまり自分賛歌を送るのは自分だ、ということを言ってる曲だと解釈しました。いやでも本当に、突き詰めるとそれしか無いんですよね…。圧倒的に正しい。
自分賛歌の歌詞には主人公とは別に全肯定ちゃんが登場しますが、アイドルに褒め褒めしてもらって何とか生きてるようじゃ甘い。本当にアイドルが好きなら、それに恥じないオタクになれ。
考えたことの備忘録
本当に個人的なメモ。
ノイミーファンの方への落とし所として、今後のシングルでのテーマ候補として読んでいただければ。
・〇〇オタクという要素に分解されないオタク
「I am ME」ですが、〇〇ちゃん推しの自分、地雷系ファッションを楽しむ自分、みたいな要素では説明しきれない"自己像"があると思っています。
自分はこうだから、〇〇ちゃんが合う、〇〇なスタイルが合う という順番になるはずです。
TLにはなんの関連も無いような、実際たぶん関連はない2つのコンテンツを見ているオタクはザラに居ます。しかし言語化できない領域での共通点がその人の感性に共鳴している。その感性の集まりがMEなのかなって。
『天使は何処へ』も別に"強い女であれ"とも"男に媚びるな"とも言ってない。むしろ「私はノイミーちゃんみたいに強くも可愛くもないから…」という態度を徹底的に否定しているように思える。強くなかろうが、可愛くなかろうが、「私は私」。それでいいと思えるようになれ。
規範(天使)に合ってるからつよい、合ってないから弱い というhabitを捨てること=天使はどっか行った=ガールに限らないガールクラッシュ的構え
メタ視点:ノイミーのファンのマジョリティである若い女性にストレートな歌詞でぶつけた今作だったが、可愛い=強いという誤解を避けられるような出力や女性以外のファンに分かりやすい物が出てくるかも。(まず『天使は何処へ』を熟読すれば別に問題ないのですが…。)
・好きなものが他人依存の場合
他人の価値観ではなく自分の好きなことを優先順位高くしようね という話になってくるが、みんなファッションが好きとは限らない。
例えば他人を笑わせる芸人さんはどうだろうか。ウケたらその日は充実するだろうし、スベったら気落ちするだろう。でもそこには芸人さん自身では完結しない因果関係があり、芸人さんの充実は他人に左右されることになる。
メタ視点:ノイミーというアイドルの充実をどう考えるか。『天使は何処へ』をストレートに解釈するとオタクが応援しようがしまいがアイドルは輝くという結論になるが(わたしは一向にかまわん)、ファンとの関係をどう展開させるのか。「手は引かないよ」のスタイルも良いだろう。実際第二の天使が飛び立つにはそれで充分だった。
とはいえ他者が居るからこそのMEではないのか。
・フォロワーの問へのひとつの回答
アイドルはヒロアカのヒーロー問題と同じ問題を抱えがちです。
あまりにも身も蓋もない事実かもしれないですが、『天使は何処へ』ではこんな解でした。
フォロワーに呪術廻戦から一節送りたいと思います。
涙が止まって 天使はどっか行った
実質〇〇シリーズ
はい。ここまでお付き合いありがとうございました。ここからは完全にI am MEの精神で行かせて頂きます。まぁ俺のnoteなんで。
・ONE PIECE
天使(規範)=海軍、世界政府 と 悪魔(非規範)=ルフィをはじめとする自由 の対立を描いた作品な訳ですが、いっちゃん第二の天使してるキャラはというと青雉になるんですね…。
完全にI am MEです本当にありがとうございました。
青雉は憧れの誰がではなく、オハラの件での赤犬というマイナスの動機(ああはならない)というスタートから飛び立ったんですね。シャンクス→ルフィのバトンとは対照的です。
2023/4/23追記
クザンがガープへの憧れ(自分のやりたいことに素直なところ)に言及するシーンが追加されました。
どっか行った天使が味方になるとは限らないという当然の展開ではありますが、タイムリーっすね…。ワシが育てたみたいな話ではなく(天使は何処へ的には「手は引かない」だし、ガープも先生ってよりかはめちゃくちゃな部活の先輩みたいな。指導も殴り合い中心のイメージある。というか対幼少ルフィがそう。)、勝手に影響されて対等な位置(非天使)になった以上恨みっこ無しというスタンス。
ルフィは規範に悩むシーンがほぼ無いですが、青雉はゼファー先生の件もそうですし定期的に己の正義を問い直してそうですよね。
ガープは規範に悩むキャラクターですが、なんだかんだで天使(規範)側を動かないですね。青雉はそこをスッと動く時は動くので、今回の実質『天使は何処へ』賞となりました。
世界政府(規範)側の使い駒としての天使(セラフィム)の自我が強まり、悪魔(の実)側の勢力に翻る展開が予想されていますね。
セラフィムが「I am ME」する激アツ展開、待ってるぞ…。
・進撃の巨人
薄いフィルターで守るPreciousを
悪魔達が剥がし 空に飛んだ
完全に進撃の巨人です本当にありがとうございました。よくこんな簡潔に要約できたな…。
私のことを守ってあげたいよな…。
そうだよな…終盤のエレンは手を引こうと思えば意のままに引ける力があります。しかし自分の自由を愛し、他人の自由もまた尊重するエレンは手を引きません。
アルミンもそうです。エレンの手を引くチャンスがありそうでも、最後の最後まで対話による解決を模索する。それがアルミンなのです。
アルミンがドデカミンを継がなきゃいけなかった理由は、手を引く手段を持ちながらそれを選ばない人物として描くためです。
・呪術廻戦
アニメ1期の釘崎野薔薇、禪院真希ペアが明確にこのテーマを体現したキャラですよね。
完全にI am MEですね。フォロワーに好評だったのがやっと深く理解できた。
ここもそうですね。野薔薇の憧れの先輩としての真希。一貫するテーマがありますね。
そしてもう言わなくていいでしょうが、夏油、甚爾はI am MEに辿り着けなかったキャラとしての側面があります。
そしてI am MEの象徴としての五条悟
①自分が正しいと思う/自分を否定する世界が正しいと思う
の分岐があり、甚爾と夏油が分かれる
②楽しさ・良さに目を向ける/苦しみ・理不尽に目を向ける
の分岐で夏油と五条が分かれるイメージです。
特に夏油については規範を壊すことには成功しましたが、自分で打ち立てたオルタナティブ規範に縛られる形になってしまいましたね。
でも何の規範もなく生きられるものかね…?
さいごに
色々書きましたが、『天使は何処へ』ほど強く居られる人間はそう居ません。これを目指しすぎるのも、ある種天使(規範)に縛られることに他なりません。(「自己肯定感」というワードが自己肯定感を下げる問題)
いい塩梅が見つかると良いね。
天使はどっか行った?
おわり