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やりたいこと、やれること

元々やりたかった分野に夢をかなえて進んだにもかかわらず、殆ど役に立てなかった私。楽しかったかと言うと実はさほど楽しくも無かったことが致命的な目標喪失につながった。

なので別の分野に行ったが、これがもうどうにもならないぐらいダメだった。ロクな事ができなかった。それでいろいろな人に迷惑をかけて破滅した。

それで転職し、更に新しい分野へ漂流する。
ここが安住の地となるのか、それとも…。

「やりたい」目標ありきでは死ぬ

多分私には目標ありきの行動は合わないのだろうと思う。

結局何だかんだ言って、長いスパンでの行動を見据えてそこへ向かっていくというよりも、将来的な方向性はそこそこに目の前の物事にとにかく一生懸命取り組む方が楽しい。

あれがやりたい、これがやりたいと幾ら言った所で、その才能や能力が無ければいつまで頑張っても中々モノにならないのは道理と言えば道理である。

ならば自分がある程度努力してやれるようになってくる事を極めて行く方が良いのかもしれない。

まあ例えば趣味で何かやる分には何も考えず理想の自分のを思い描いて取り組んでも良いのかもしれないが、特に仕事のような場面で理想や夢ばかりが先行して自分の能力に無い事をやるのは避けるべきなんじゃないかと思う。

普通に食っていけなくなる。
好きな事だけ、やりたい事だけで食っていくというのは並大抵の才能・努力では無理だ。

やれることの浮上

誰しも経験があるんじゃないかと思うけど、実は「自分がやりたいこと」よりも「自分がやれること」の方が重要なんだよな。
そして得てして、「やれること」をやっている内に人から感謝されたりしてどんどん「やれること」が楽しくなってくる。

自分が最初やりたかった事とは大幅にかけ離れているような事であっても、人から感謝されて調子に乗ってやっている内に、最終的にその事が自分で大好きになってしまうのだ。

そういう風にして仕事に出会えた人が羨ましい。
私の場合には、目の前の仕事に一生懸命取り組んで「やれるようになってゆく」ことで好きになって行こうと決心して社会人始めたは良かったが、どうしても私の行動特性と合わずに上手く行かない事の方が多かったように思われる。

結果ごく少数の人々が私に感謝してくれたのみで、人によっては面と向かって私を罵倒したりするような人もいたため、どうしても目の前の自分の仕事を上手く「好きになって行くこと」ができなかった。

それが辛かったし、私の社会人生活における最初の大敗北だと思う。

「やれる仕事」と仕事人生

多分、やりたいことで仕事を選ぶべきではないんだろうなと思う。
真にその人が満足して充実した仕事人生を送れる職業とは、「やりたい仕事」ではなく「やれる仕事」なのだ。

何というのかある意味では、全員が全員「やりたい仕事」を選ぶ必要など本来元から無いんじゃないかと思う。

そんな風に自分の好きな仕事を選べる社会は一見すると理想郷のように思われるかもしれないが、恐らく大半の人がクリエイティブ職や楽しそうな(楽しそうに見える)職業ばかりを選んでしまって、社会そのものが成り立たなくなるだろう。

残念ながら全ての工業生産をロボット化するにはまだ程遠い現代においては、汗と泥にまみれながら必死に苦しい仕事をしている人が存在するからこそ工業が成立している。

しかしある意味ではその人たちは自分のスキルで「やれる仕事」を選択したに過ぎないのであって、そこから頑張ってスキルアップ・ランクアップしていく人たちだって沢山存在する。
それはそれで一つの能力の形であるし、それを否定して「あなたもやりたい仕事をやりましょう!自分の叶えたい夢を仕事で叶えましょう!」なんて無責任な事を言う必要はないのでは、と思う。

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