服は1度に1着しか着れない
2年ほど前の日記を掘り起こしたらちょうど今の自分の心中と重なるものがあったので、20代後半の自分の記録としてここに置いておこうと思う。
適当に茹でたインスタントラーメンを啜りながら、Abemaプレミアムで『ザ・セッション 声優と夜あそび』を見ていた。森久保祥太郎さんとゲストの鈴村健一さんに『社長業で大変なこと』というトークテーマが振られ、森久保さんは「見極め」、鈴さんは「選択」と答えた。「会社に関わるすべてを選択しなきゃいけない責任がある。それがやりたくて社長になったんだけど、どちらの選択肢も良く見えるときがあるから難しい。でもそれができないと社長はできないと思う」。鈴さんの言葉を聞きながら、それはきっと社長業に限った話ではない、と思っていた。
今日の晩ごはんを決める。
今日着る服を決める。
住む家を決める。
通う学校を決める。
仕事を決める。
わたしの人生だって、そういう選択と決断の積み重ねでできている。
そして同じように、選択肢は大抵、一つしか選ぶことができない。
そんな当たり前のこと。
当たり前だけど、突然、それがどうしようもなく寂しくなった。
やりたいことも、叶えたいものもありすぎるから。
母親はよく私に「服はいっぱいあっても一着しか着れないんだからいいものを選べ」と言った。至極真っ当なのに、それに対して私は今「なんで一着しか着れないんだろう」と思っている。一度に三着着させてくれよ、と。これはそういうわがままの話だ。
物心ついたときから、私は好奇心旺盛で、なんにでも影響を受けやすい子供だった。
プリキュアを見たらプリキュアになりたいと思う。
劇的ビフォーアフターを見て、大工になって家を壊したいと思う。
オペ中のセリフを全部覚えるほど医療ドラマにハマって、医者になりたいと思う。
るろうに剣心を読んだ後、飛天御剣流の使い手になりたくて庭で毎日木刀を振ったり、
スラムダンクを読んで、バスケの練習をしてみたり。
ハリー・ポッターシリーズを読んだ時は、本気でホグワーツに行けると信じてシリーズに出てくる呪文を全部暗記した。
(逆に、少女漫画のテスト期間のシーン数ページさえあれば、「私あの漫画のモブみたい」という感情で全く苦に思わず試験勉強ができた。)
将来の夢なんて、数ヶ月単位で変わってた。
今だって、趣味で観劇しているときに「殺陣やってみたい」とか「演出がやりたい」とか「ミュージカルやってみたい」とか「合唱やりたい」とか思う。大抵の人はそういう発想にはならないと最近知った。ただ私はどこまで行ってもそういう人間なのだ。今の今までずっと、大真面目に。
やりたいことも、叶えたいことも多すぎるのに、
その中に、もう今生では叶えられそうもないことがたくさんある。
かつて学生だった頃、新しいことに挑戦すればするだけ、自分の可能性が広がっていくように感じていた。10年後の未来に、自分は何を仕事に選んでいるのだろうと夢想した。
けれども今はもう、それを選び取っていくフェーズに入ってしまった。数多の選択肢の中から、わたしという人間が何者かを選択しなければならない。自分の立つ場所を決断しなければならない。そしてそれは、一つしか選べない。
どうして人生は一度きりなんだろう。
セーブもロードもできなくて、一回しかプレイできないくせに、いつゲームオーバーが来るかもわからない。なんならアバターから作り直して再プレイしたいのに、それも叶わない。老い先短いなんて言うべき年齢ではないけれど、それでも明日にはこの命は終わっているかもしれない。それを考えるにつけ、どうしようもない焦燥が私を襲う。
それは私が、まだ自分の人生に満足できていないからだ。
ずっと何者かになりたがっているのに、何者にもなれていない。
今立っている場所が、自分の終点でいいとも思えていない。
ミュージカル刀剣乱舞『東京心覚』の楽曲『問わず語り』に、こんなフレーズがある。
誰かが言った 覚えておいてと
誰かが言った 忘れてくれと
私はどこまで行っても前者のモブなのだ。
見つけてほしい。覚えておいてほしい。
自己肯定感が低いくせに、自分の人生に対する期待値だけはべらぼうに高い。
生きにくい人間の見本みたいだと思う。
でも、自分がなりたい「何者か」は、別にアメリカ大統領や国連事務総長じゃなくていいことを私は知っている。自分が心から時間と労力を割く価値があると感じられたもの。そこに骨を埋めていいと思える居場所、仲間。それに出会ったときに、きっと私は自分がなりたい何者かになれる。
ああ、いっそ全部が無理なら、自信を持って大切なひとつを選び取れたらいいのに。
そのひとつがなにかを考えようとすると、心の奥底で一度水をかけたはずの火が燻りはじめる。今はまだ向き合えないけれど、本当は知っている気がするわたしの「ひとつ」。
やりたいこと、できること、むいてること。
きっと数多の選択肢が収束した先にその場所はあって、
そこに辿り着くための人生なのかもしれない。
堂々巡りのトンネルに迷い込んだまま眠りについたら、ハリソン・フォードと一緒に宇宙船で北センチネル島の周辺海域に漂着して、原住民に矢を射られる夢を見た。夢の中でわたしは、頭をフル回転させて生き延びる方法を考えていた。「まだ死ぬわけにはいかないので!」そう口にした時、頭の中にあった"死にたくない理由"の第一位を教えてほしい。