私とマリオ・ジャコメッリ 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて 辺見庸 傷を待つ虚無のこと
私の推薦図書ときかれて、一番に思い浮かぶのはこの本だ。
辺見さんのブログで以前読んだ限りでは、おろかなことに絶版になってしまったらしいので、amazonでも中古しか買うことができない。
(再版を強く望みます)
マリオ・ジャコメッリはイタリアの写真家で、もともと詩人でもあって、印刷屋で働きつつ生涯アマチュアの立場を貫いてきたので、アンリ・カルティエ=ブレッソンやセバスチャン・サルガドのような知名度は日本ではない。
それにジャコメッリの写真はドキュメンタリー写真の枠に収まりきらないかもしれない。
印刷屋で働いていた彼は色々な技法をもって写真に加工を施していて
それらはカテゴライズするならアート写真に分類されるだろうか。
でも、そんな分類はどうでもいい。
私はジャコメッリの写真がとても好きで、そしてもしかするとそれ以上にジャコメッリの写真が好きな人の情熱が好きだ。
辺見庸さんもそんなジャコメッリが好きな人の一人で、この本にはマリオ・ジャコメッリの写真と詩に共鳴した辺見さん自身の哲学が全編を通して溢れていて読んでいると何度も身体に電流が走る。
その感覚は、以前ジャーナリズム誌の編集をしていた時、ジャコメッリの写真と一緒に掲載する原稿をお願いした伊勢功治さんの文章を読んだ時にもあった感覚だ。
マリオ・ジャコメッリの写真は素敵だ。そして、私にとってジャコメッリの写真にまつわる言葉は、もしかすると写真よりももっと強い力を持つ。
私の身体には今タトゥーは一つも入っていないけれど、もしも入れるなら、もう決めている言葉がある。
ジャコメッリの言葉で
「白は虚無、黒は傷跡」。
(右の二の腕の裏に“虚無”と、左の腕に“傷跡”といれよう)
東京都写真美術館で以前開催されたジャコメッリの展示のタイトル「THE BLACK IS WAITING FOR THE WHITE」にのせると、傷を待つ虚無のこと。
私はこの言葉に限りない優しさを感じる。
辺見さんのこの本も、ただまっすぐに見ていたんじゃ見えない世界のことを書いている。
この世界が平板の一次元的なものでないこと、既存の価値観に意味がないこと、生と死はつながり、同時に進行しているということ。
そうした生きること、つまり死んでいくことの哲学が、白が虚無であり、黒が傷跡であり、虚無が傷跡を受けることでああした禍々しく神々しく美しいBLACK and WHITEの写真ができることを優しく説くように語られる。
優しくて情熱的で救いになる本だ。
ちなみに、本の後ろにある額は辺見さんが撮られた写真。
2年ほど前に大阪での講演会と同時期に開催されていた小さな写真展で購入したもの。
サインも入れていただいている。
とても大事にしている。
その機会を与えてくださったギャラリーのオーナーさんの辛いニュースが最近耳に入ってきたが、私はそうした事件についてを実名でことさら大きく報道することの意義がゴシップ以上のどこにあるのか今もわからない。
本当のことは誰も知り得ない。
真実なんてどこにも存在しない。
そんなとき、あるのは傷を待つ虚無だけだ。